コラム

戦後ドイツ、男性同性愛を禁じる刑法175条、「過去の克服」の重さと複雑さを描く『大いなる自由』

2023年07月06日(木)19時04分
映画『大いなる自由』

男性同性愛を禁じるドイツ刑法175条に翻弄されつづける同性愛者の姿が描かれる『大いなる自由』

<戦後から1969年に至る時代を背景にした『大いなる自由』に描かれるのは、男性同性愛を禁じるドイツ刑法175条に翻弄されつづける同性愛者の姿だが、そこからは戦後西ドイツの社会や政治が見えてくる......>

歴史家のダグマー・ヘルツォークが20世紀ドイツにおける性意識の変遷をたどった『セックスとナチズムの記憶』の序には、「本書は、性がいかにして性以外のきわめて多くの事象について語り、他の多くの社会的、政治的争いを解明する場となりうるのかを示している」と書かれている。

オーストリア出身でウィーンを拠点とするセバスティアン・マイゼが監督と共同脚本を手がけた『大いなる自由』には、それに通じる視点が実に巧妙に埋め込まれている。戦後から1969年に至る時代を背景にした本作に描かれるのは、男性同性愛を禁じるドイツ刑法175条に翻弄されつづける同性愛者の姿だが、そこからは戦後西ドイツの社会や政治が見えてくるのだ。

175条は1871年に制定され、ナチス時代に厳罰化され、戦後東西ドイツでそのまま引き継がれた。前掲書には、「同性愛嫌悪にもとづく男性同性愛者の迫害、虐待、殺害」がナチズムの特徴と指摘されている。さらに、戦後の175条については以下のように綴られている。

oba20230706b_.jpg

『セックスとナチズムの記憶----20世紀ドイツにおける性の政治化』ダグマー・ヘルツォーク 川越修・田野大輔・荻野美穂訳(岩波書店、2012年)

「この法律は1969年まで改正されなかった。1950年代と60年代の間、同性愛行為の嫌疑をかけられた10万人近い男性が警察のファイルに登録され、毎年2500人から3500人に有罪判決が下されていた。宗教史家で反175条の活動家であるハンス・ヨアヒム・シェップスがかつて回顧して述べたように、『同性愛者たちにとって、第三帝国は実は1969年にようやく終わったのである』」

175条という法律は同じでも、3つの時代で意味が異なる

本作ではそんな現実が、非常に大胆で、しかも緻密な構成、演出で描き出される。主人公は、175条違反で繰り返し投獄される同性愛者のハンス。監督のマイゼは、設定を1945年、1957年、1968年という3つの時代に絞り込み、舞台をほとんど刑務所に限定している。しかも時系列を解体し、物語は3つの時代を行き来する。

意思を曲げない頑固なハンスは、何度も懲罰房に放り込まれ、画面は闇に包まれる。次にそこに光が差し、彼の顔を照らすとき、髭の有無ややつれ方で、時代が変わっていることがわかる。そんな闇で繋がれた3つの時代は、1969年までつづいた第三帝国を象徴しているようにも思えてくる。

しかし、大胆で緻密な構成の効果はそれだけではない。175条という法律は同じでも、3つの時代ではそれが持つ意味が異なる。ヘルツォークの前掲書を参照すると、戦後から1969年の改正までには以下のような変化がある。

戦争直後から少しの間は、同性愛行為で罪に問われた男たちに対しても、法の裁きは相対的に寛容で曖昧だった。だが1950年代になると、警察の追及も刑罰の言い渡しも厳しさの度を強めていく。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米、中国に関税交渉を打診 国営メディア報道

ワールド

英4月製造業PMI改定値は45.4、米関税懸念で輸

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ワールド

韓国最高裁、李在明氏の無罪判決破棄 大統領選出馬資
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 10
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story