コラム

韓国の苛烈な選挙戦、金大中と選挙参謀の実話を元にした『キングメーカー 大統領を作った男』

2022年08月10日(水)16時00分

「正義こそが社会の秩序」「正しい目的のためなら手段は不問

本作は、チャンデが営む薬局に立ち寄った客が、個人的な悩み事を語り出すところから始まる。その男が飼っている鶏が卵を産まなくなったことを不審に思い、夜中に鶏小屋を見張っていると、隣人が持ち去っていたことがわかる。男が問い詰めると、隣人はエサをやりに来たととぼける。そこで村長に訴えるが、隣人が村長の親戚だったため、善人を泥棒呼ばわりしたと逆に悪者扱いされてしまう。

その話を聞いたチャンデは、赤い毛糸を差し出して、こんな提案をする。鶏の足にその糸を結んで、夜中に隣人の鶏小屋にこっそり入れ、翌朝、村中の人たちと隣に押しかけ、卵の次は鶏を盗んだと訴える。隣人が否定しても足の印があるので、村長でもかばいきれない。

ウンボムの選挙事務所を訪ねたチャンデは、ウンボムに、下劣な敵には同じ手段を使うべきだと主張するが、ウンボムは、「正義こそが社会の秩序だ」というアリストテレスの言葉で答える。これに対してチャンデは、「正しい目的のためなら手段は不問」というプラトンの言葉で応酬する。

本作のウンボムとチャンデの物語は、常に「目的」と「手段」をめぐって展開していく。木浦の選挙や野党の大統領候補を決める党大会のエピソードは、いずれもウンボムの熱意のこもった演説で締めくくられ、目的が手段を凌駕する印象を与える。しかしやがてそのバランスが崩れ出す。

「目的より手段を優先すれば、独裁すら正当化できてしまう」

そこで注目したいのが、実際にあったふたつの出来事だ。ひとつは、大統領候補となった金大中が公約のひとつとして掲げた「郷土予備軍の廃止」だ。予備軍は北朝鮮の侵略に対する防衛という目的で発足した。金大中は朴政権の「反共独裁」を打ち砕く起爆剤にするためにその廃止を主張したが、大変な逆風にさらされることになった。

もうひとつは、大統領選の最中の71年1月に金大中の自宅の外で原因不明の爆発が起こった事件だ。

このふたつの出来事に関係はないが、本作では、「目的」と「手段」をめぐって実に巧みに結びつけられている。大統領候補となったウンボムは、テレビのインタビューで問題の公約について以下のように説明する。


「本来、郷土予備軍は、北朝鮮の侵略に備えた防衛策でした。しかし今は住民統制に利用されている。安保を盾に国民を軍事組織として管理し、不当な目的で動かすのは趣旨から外れています」

これに対して、中央情報局長は、国防長官に連絡をとり、北の脅威を喧伝させ、予備軍の廃止が北朝鮮の思うつぼであるかのような印象をつくりあげる。自分の公約を安保論争にすり替えられてしまったウンボムは、苛立ちを抑えられない。チャンデはそんなウンボムに、自作自演の事件を起こして、国民の関心をそらすような戦略をほのめかす。ウンボムはその提案にショックを受ける。

本作ではそんなふうにして郷土予備軍の問題と原因不明の爆発が結びつけられ、ウンボムとチャンデの衝突のきっかけになる。チャンデはいつしか国民をないがしろにし、勝つことだけにとらわれるようになっていた。「目的より手段を優先すれば、独裁すら正当化できてしまう」というウンボムの言葉には、すべてが集約されているともいえる。そして本作では、ウンボムとチャンデが袂を分かつことが、大統領選の行方に大きな影響を及ぼしていくことになる。

ソンヒョン監督は、金大中と厳昌録の関係から「目的」と「手段」というテーマを引き出し、独自の視点で歴史を読み直している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story