『わたしは、ダニエル・ブレイク』監督の新作、英国社会の底辺の現実
そんなリッキーの状況は、2018年にイギリスで実際に起こった事件を思い出させる。糖尿病を患っていた大手運送業者DPD社の53歳のドライバーが、150ポンドのペナルティを恐れて、治療の予約をしても通院できずに働きつづけ、仕事中に倒れて病院で死亡した。彼は19年間もDPD社と契約して働いていたという。
一方、妻のアビーも追い詰められる。彼女の状況は、緊縮財政と深く関わっている。地方自治体への予算削減や社会福祉介護事業の民営化によって、介護スタッフは不安定なゼロ時間契約を強いられる。彼女の場合も、支払いは訪問ごと、交通費は自腹で、朝7時半から夜9時まで働く。車が使えなくなり、バス移動になったことで、彼女の負担はさらに大きくなっていく。
そんな状況で、息子のセブが学校をさぼり、トラブルを起こすようになったとき、家族は負のスパイラルに引きずり込まれていく。
しかし、ローチやブラッドワースが描こうとしているのは、労働の過酷さだけではない。ここで重要なキーワードになるのが、「個別化」だ。リッキーやアビーが従事しているのは、他者との接点を排除していくような個別化された仕事であり、そこではこれまでの産業にあったような連帯感や尊厳を得ることができない。
リッキーは、疲れ切り、壊れかけた家族を立て直すために、本部の責任者に一週間の休みを申し出るが、「なぜ俺に尋ねる。自営だから代わりを探せばすむことだ」と冷たく突き放される。他のドライバーたちも、同様の問題を抱え、助け合うことができない。
アビーは、「自分の母親と思って世話すること」という介護の指針に共鳴し、心を込めて高齢者や障害者の世話をしているが、時間の超過が支払いに反映されるわけではないし、担当者は彼女の報告に真剣に耳を傾けようともしていない。バス停で打ちのめされたように佇む彼女の姿は、個別化がもたらす苦悩を表現している。
そして、大卒者が直面する現実......
さらに、もうひとつ見逃せないのが、セブがトラブルを引き起こす原因だ。それは社会の変化と無関係ではない。印象に残るのは、セブと両親が将来について語り合う場面だ。アビーが、成績優秀だったセブに「大学に行っていいのよ」と語りかけると、彼は友人であるハープーンの家庭の事情をこのように話す。「ハープーンの兄貴は進学で5万7000も借金、コールセンターで働いて週末ごとに飲んだくれ、上等だよ」
ブラッドワースの前掲書には、大卒者が直面する現実について、以下のような記述がある。
「しかし政治家はもはや、これ以上多くの仕事を創出する経済状況を作ることができなくなった。結果、借金を背負った何千人もの大卒者たちが、流れ作業の現場の片隅にむっつりと座り、段ボールにセロテープを貼ったり、電話の向こうの怒りっぽい消費者にマニュアルどおりの言葉を読み上げたりすることになった」
聡明なセブはそんな現実を理解し、両親が気づかないところで絶望感に苛まれている。そして、彼には、「だが、いい仕事もある、真剣に探せば」と諭すリッキーの言葉が虚しく響く。両親が直面している現実が、それを明確に否定しているからだ。彼らはそれぞれに個別化という檻に閉じ込められ、どうすることもできずに苦しんでいる。
分断された世界が描かれる
ローチとブラッドワースは、そんな社会の底辺の現実を踏まえたうえで、似たような言葉で階級の関係を表現している。
ローチはインタビューで以下のように発言している。
「中産階級は仕事と生活のバランスについて語り、労働者階級は困窮し、立ち往生しています」(プレスより)
ブラッドワースは以下のように書いている。
「中流階級の生活を特徴づける『迅速さと効率』という概念は、多くの労働者階級の家庭には存在しない。貧困はあの手この手で労働者から時間を奪いとろうとする」
ふたりは、このように分断された世界が果たして持続可能なのかどうかを、観客や読者に問うている。
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