コラム

パレスチナとイスラエルの対立を知的なコメディで描く『テルアビブ・オン・ファイア』

2019年11月21日(木)16時15分

本作を観ながら筆者が思い出していたのは、『中東・北アフリカにおけるジェンダー』に収められた「危機にある男性性──イスラエルのパレスチナ人の事例」という論考のことだ(この論考は、タルザン&アラブ・ナサール監督のパレスチナ映画『ガザの美容室』を取り上げたときにも参照した)。そこでは、暴力が中心的な行動様式となるパレスチナとイスラエルの関係において、イスラエル国内のパレスチナ人には「明確な役割がない」理由が以下のように綴られている。


「イスラエルの市民権をもっているにもかかわらず彼らは国軍に招集されることはない。同時に、イスラエル国家の公式な市民であるがゆえに、彼らは組織化されたパレスチナ人の抵抗運動にも参加することもできない。自分の民族集団にとっては潜在的な謀反人であるのと同時に、イスラエル国内では潜在的な第五列でもある。集団として表現をするにあたり限られた余地しか許されていないことを考えれば、イスラエルにいるパレスチナ系アラブ人に、戦闘的暴力性を備えた男性的なパフォーマンスに対する合法的で制度化された道筋はない。イスラエル国軍の英雄と同じ心境になることもできなければ、シオニズム、のちにイスラエルに対する抵抗から得られる栄光を掲げるパレスチナ人の英雄をおおっぴらに支持することもできない」

ooba1121a.jpg『中東・北アフリカにおけるジェンダー──イスラーム社会のダイナミズムと多様性』ザヒア・スマイール・サルヒー編著 鷹木恵子・大川真由子・細井由香・宇野陽子・辻上奈美江・今堀恵美訳(明石書店、2012年)

この記述をヒントにすると、ゾアビ監督がサラームの立場を際立たせるために、劇中劇に第三次中東戦争という題材を選んでいることが興味深く思えてくる。なぜなら、そのTVドラマには、ヒロインに指示を出すパレスチナ人の闘士マルワンとイスラエル国軍のイェフダ将軍という英雄が登場するからだ。本作では、サラームがそんなTVドラマの世界と関わることによって、登場人物たちの印象的なトライアングルが生み出されていく。

ひとつは、サラームと叔父バッサム、司令官アッシのトライアングルだ。第三次中東戦争で戦ったことを誇りにしているバッサムは、おそらくヘブライ語が話せるからサラームをアシスタントにしただけで、他に何かを期待していたわけではない。そんなサラームは、アッシと出会い、知恵を授けられたことで、脚本家への足がかりをつかむ。だがやがて、ともに同胞意識だけを優先するバッサムとアッシの間で板挟みになり、翻弄されていく。

そうなると、TVドラマの展開も別の意味で面白くなる。冒頭の劇中劇では、ヒロインとマルワンが、戦争が終わったら結婚する約束をしているが、彼女の心は次第にイェフダ将軍へと傾いていく。追い詰められるサラームの状況が反映された彼女は、先の引用にならえば「第五列」になるか「謀反人」になるかの二者択一を迫られることになる。

窮地に立たされた主人公が驚きの奇策を繰り出す

さらに本作では、サラームと幼なじみの女性マリアム、そしてTVドラマでヒロインを演じるフランス在住の女優タラのトライアングルも見逃せない。サラームはマリアムに想いを寄せているが、彼女の態度はそっけない。一方、タラは言語指導を通してサラームに好感を持つ。サラームはそんな彼女からパリに来ることを勧められ、心が揺れる。やがて、それらの伏線がみな繋がっていく。

サラームが久しぶりにマリアムと再会する場面には、「死海には魚はいない」と語るサラームに、マリアムが「すごい、学んだのね」と答えるやりとりがある。その意味は後に明らかになる。昔、彼は彼女に対して「君といると死海の魚の気分になる。地中海へ出たい」という傷つけるような発言をしていた。

ゾアビ監督はかなり緻密に構成や脚本を練っているので、こうした細部にも含みがあるように思えてくる。サラームは閉ざされた環境から抜け出したくて「死海の魚の気分」と表現したのかもしれないが、死海に魚がいなければ、それは自分が存在しないことを意味する。さらに、マリアムが「学んだのね」とそっけなく突き放すところに、逆説的な意味が込められているようにも感じられる。

実際この後、優柔不断で、存在が希薄なサラームは、自分の居場所を見出して、他者と対等な関係を確立するのか、自由を求めてパリに向かうのかの決断を迫られ、学んでいくことになる。

こうした劇中劇も含めた複数のトライアングルのなかで、窮地に立たされたサラームは、驚きの奇策を繰り出す。それを単に痛快とかトリッキーと形容することはできない。ゾアビ監督は、主人公が自己を確立することと、「明確な役割がない」イスラエルのパレスチナ人が役割を見出すことを巧みに重ね合わせているからだ。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ウクライナ紛争は26年に終結、ロシア人の過半数が想

ワールド

米大使召喚は中ロの影響力拡大許す、民主議員がトラン

ワールド

ハマスが停戦違反と非難、ネタニヤフ首相 報復表明

ビジネス

ナイキ株5%高、アップルCEOが約300万ドル相当
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足度100%の作品も、アジア作品が大躍進
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...どこでも魚を養殖できる岡山理科大学の好適環境水
  • 4
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 5
    ジョンベネ・ラムジー殺害事件に新展開 父「これま…
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 8
    ゴキブリが大量発生、カニやロブスターが減少...観測…
  • 9
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 10
    【投資信託】オルカンだけでいいの? 2025年の人気ラ…
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 4
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 5
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 6
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 7
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 8
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 9
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 10
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story