コラム

失業と競争のプレッシャー、情け容赦ないフランスの現実

2016年08月10日(水)17時40分

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』  (C)2015 NORD-OUEST FILMS - ARTE FRANCE CINEMA

<リストラで1年半も失業中の中年男。やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れるが、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにする。フランスで観客の共感を呼び大ヒットとなった社会派ドラマ>

フランスで観客動員100万人の大ヒット社会派ドラマ

 社会の片隅に生きる人間を見つめるフランス人監督ステファヌ・ブリゼ『ティエリー・トグルドーの憂鬱』では、失業によって悪戦苦闘を強いられる男の姿が描き出される。主人公のティエリー・トグルドーは1年半も失業中の中年男だ。職業訓練を受けても就職できなかった彼は、やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れる。ところが、これで家族を養いローンも返済できると思ったのも束の間、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにすることになる。

 この映画はシリアスな題材を扱っているにもかかわらず、フランス本国で100万人を動員する大ヒットになったという。フランスでは失業率が10%に近く、深刻な社会問題になっている。この映画で主人公を演じたヴァンサン・ランドンは、カンヌ国際映画祭で主演男優賞に輝いた。ブリゼ監督は、実際に役柄と同じ職場で働くアマチュアの人々をキャストに起用し、リアリティを生み出している。

 しかし、注目を集めた要因はそれだけではないだろう。この映画には社会学的な視点が巧妙に埋め込まれ、小さな物語から大きなヴィジョンが浮かび上がってくる。その視点は、フランスの社会学者ロベール・カステルの『社会喪失の時代――プレカリテの社会学』のそれに近い。脚本を手がけたブリゼとオリヴィエ・ゴルスは本書からヒントを得たのかもしれない。

競争やプレッシャーのなかで労働者たちの内面が変化していく

 カステルは本書のなかで、社会の「中心からもっとも離れたようにみえる立場が、しばしばもっとも雄弁に社会の内的な力学について語る」と書いているが、この映画はまさに周縁に追いやられた主人公を通して社会の内的な力学を描き出そうとしている。

 もちろん共通点はそれだけではない。カステルは集団としての労働者が個人化されていく過程を掘り下げている。賃労働をめぐる近年の変化は、大量失業や労働条件の不安定化だけでは表せない。もっと深いところで変化が起こっている。


「賃労働者は、ますます競争が激しくなる労働市場において、機敏であり、かつ適応能力や柔軟性を備えていなければならないという、強いプレッシャーのもとに置かれている」

 そんな競争やプレッシャーのなかで、労働者たちの同質性が破壊され、脱集団化を引き起こし、個人化が進行していく。そして労働者は失業に怯えながら、違いを強調するように促されていく。

 この映画の前半で印象に残るのは、主人公と元同僚たちの関係だ。元同僚たちは、勤めていた会社に対して不当解雇の訴えを起こすために話し合いを重ねている。主人公もその集団の一員だったが、仲間に身を引くことを告げる。その決断は冒頭のエピソードと無関係ではない。彼は失業中にクレーン操縦士の研修を受け資格を取得したが、現場の経験がないという理由で不採用になった。そこでハローワークで苦情を申し立てるが、職員は取り合わない。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

午後3時のドルは156円前半、年末年始の円先安観も

ワールド

米・ウクライナ首脳会談、和平へ「かなり進展」 ドン

ビジネス

アングル:無人タクシー「災害時どうなる」、カリフォ

ワールド

中国軍、台湾周辺で「正義の使命」演習開始 実弾射撃
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    アメリカで肥満は減ったのに、なぜ糖尿病は増えてい…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story