コラム

MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(4)─クラウド・アウトが起きない世界の秘密

2019年08月08日(木)15時00分

metamorworks -iStock

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<MMTは「政府財政は景気循環を通じて均衡する必要すらない」と結論しているが、それがどのような推論から導き出されるのかを検討する......>

その主唱者たちによれば、MMTの目的は、主流派マクロ経済学という「歪んだメガネ」によって生み出された財政と金融に関する誤った観念を排し、それをMMTから得られる正しい把握に置き換えていき、それを通じてマクロ経済政策を正しい方向に導いていくことにある。MMT派の教科書Macroeconomicsの第8章では、そのMMTによって駆逐されるべき主流派の誤謬(Mainstream Fallacy)として、以下の9つの命題が掲げられている。

誤謬その1:政府は家計と同様な「予算」の制約に直面している。
誤謬その2:財政赤字(黒字)は悪(善)である。
誤謬その3:財政黒字は一国の貯蓄を増加させる。
誤謬その4:政府財政は景気循環を通じて均衡されるべきである。
誤謬その5:財政赤字は、希少な民間貯蓄を奪い合うことになるため、利子率を引き上げ、民間投資をクラウド・アウト(締め出し)する。
誤謬その6:財政赤字は将来の増税を意味する。
誤謬その7:政府の浪費は財源の喪失を意味する。
誤謬その8:政府支出はインフレを生む。
誤謬その9:財政赤字は大きな政府につながる。

新旧ケインジアンを含む反緊縮正統派はおそらく、これらが「主流派の誤謬」だと言われれば、その誤謬を信じている主流派とはいったい誰のことなのか、よくメディアに出てきては赤字赤字と大騒ぎする緊縮保守派のことだろうか、などといぶかしく思うであろう。というのは、「政府の赤字は家計のそれとは違う」とか「政府の財政赤字は別に悪いことでない」というのは、まさしく反緊縮正統派がこれまで口を酸っぱくして言い続けてきたことだからである。実際、不況期の財政赤字は積極的に許容されるべきだという赤字財政主義は、ケインズ主義が誕生して以来の基本的な政策指針の一つであった。

しかしながら他方で、この中には確かに正統派とは明確に異なるものもある。それは例えば「財政赤字は、希少な民間貯蓄を奪い合うことになるため、利子率を引き上げ、民間投資をクラウド・アウトする」である。あるいは「政府財政は景気循環を通じて均衡されるべきである」、「財政黒字は一国の貯蓄を増加させる」、「政府支出はインフレを生む」などもそこに含まれるかもしれない。これらは正統派にとっては必ずしも誤謬ではない。

新旧ケインジアンを含む正統派も確かに、「赤字財政支出による民間投資のクラウド・アウトは不完全雇用下ではそれほど起きない」と考えている。しかし他方で、「経済がいったん完全雇用に達した時には、赤字財政支出はほぼ確実に民間投資のクラウド・アウト、金利上昇、さらにはインフレを引き起こす」とも考えている。したがって、正統派の多くは、「赤字財政が明確に許容されるのは基本的には不完全雇用時である」と考える。

それに対して、MMTは「赤字財政支出によるクラウド・アウトは原理的に起きない」と主張しているのである。それは、「赤字財政は完全雇用であってもなくてもインフレでない限り許容されるべきである」、そして「政府財政は景気循環を通じて均衡する必要すらない」という、きわめてMMT的な結論を生み出す。以下では、そのMMTの結論がどのような推論から導き出されるのかを検討する。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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