コラム

「それでも私たちが中国に住む理由」が売れる理由

2013年09月05日(木)12時00分

 もうすぐ日本政府が尖閣諸島を国有化し、その後、中国各地でそれに抗議する反日デモが起きてから1年になる。去年は1月の台湾総統選に始まり、中国と世界を揺るがせた2月の重慶スキャンダル、9月の尖閣国有化と反日デモ、11月の共産党大会と、中国関連ニュースがこれでもかと世界を駆け抜けた。予想外の方向に事態がどんどん転がる薄煕来の事件も難儀だったが、何と言っても評価に窮したのが反日デモだった。

 山東省青島市のイオンや湖南省長沙市の平和堂という日系スーパーがデモ隊の略奪にあって店がめちゃくちゃに破壊され、北京の日本大使館には石が投げつけられた。その一方で、日本に対する義憤にかられた人々が参加するはずのデモ隊はなぜか警察の誘導におとなしく従い、列の後ろの方は半分ピクニック気分で参加している――。一体どちらがデモの、そして中国の真実の姿なのか。正直かなり混乱した。

soredemo-thumb-180xauto-959.jpg

 8月末、弊社から「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」という本が出版された。外交官や日本メディアの北京特派員から日本語教師、自営業、ブロガー、俳優まで、108人それぞれが去年の9月のデモのときに見聞きしたことについてつづった体験談集で、発売後すぐ重版が決まった。

 春に出版の企画を聞いたとき、正直話題になる本ではあるが、売れるとは思っていなかった。8月末の出版なら、9月初めの反日デモ1年取材で新聞やテレビが取り上げる対象になるだろう、という読みはあった。予想通り多数の日本メディアが取材してくれたおかげで(あの2ちゃんねるに掲示板までできたらしい)、本に対する世の中の認知度は高まった。ただ、それと読者がこの本に1890円を払うかどうかは別だと思っていた。

 ここ数年、中国を扱う雑誌の特集や新刊の中国本のテーマを見ればその理由は分かる。中国に融和的で理解を示すような、簡単に言えば中国に優しい特集や本は売れないのだ。「中国という大難」「2014年、中国は崩壊する」「『中国の終わり』の始まり」「暗黒大陸中国の真実」......。よくもまあ、と思うぐらいネガティブなコピーが並ぶ。裏を返せば、ネガティブ路線以外の中国本や中国特集が出版社の企画会議を通ることはかなりまれだ。

「それでも私たちが中国に住む理由(略して「それ中」と最近では呼ばれているらしい)」に書かれているのは、在中日本人1人1人が体験したリアルな「2012年9月前後の中国」だ。反日デモ全体を見渡せば、過激化したのはごく一部で、さらに大半の中国人はデモに参加すらしなかった。在中日本人たちがあの時接触した中国人の多くが、むやみやたらと領土論争をふっかけたり嫌がらせをすることなく、日本人に理性的に対応した。当時、日本でメディアが伝えた中国の姿は、在中日本人が知っている中国の姿とあまりにかけ離れている――北京在住のライター・エッセイストで、今回「それ中」の責任編集者の1人を務めた原口純子さんはこの春に東京で会った時、筆者にそう語ってくれた。

「それ中」はなぜ読者に受け入れられたのだろうか。中国への罵詈雑言を表紙に並べた中国本や雑誌の特集は、今も書店の棚にずらりと並んでいる。日本人の意識に何か変化が起きているのだろうか。

 この本が描く中国は、等身大の、われわれとどこも違わない同じ人間が息づく中国だ。反日デモから1年が経ち、デモがもたらした衝撃、恐怖、怒り、その他もろもろのネガティブな感情を日本人が消化して、当時メディアが伝えなかった中国の姿を受け入れる準備が出来たと、筆者は推測している。おそらく1年前、「それ中」の執筆者たちがこの本に書いたことを日本メディアに語ったとしても、記事のコメントとして使われたり、インタビュー映像がテレビニュースで放送されることはほとんどなかっただろう。日本の読者や視聴者の側に、「恐くて憎い中国」以外の中国像を受け入れる準備がなかったからだ。

 北京在住フリーライターの斎藤淳子さんが「それ中」に寄せた文章の中でこう書いている。斎藤さんは今年3月、乗ったタクシーの運転手に「小日本(シアオリーベン)」と吐き捨てられ、ひるむどころかその運転手を「二度とそんなこと言うんじゃないわよ」と諭す体験をした。


 とはいえ、このドライバーに見られた誤解は実は鏡の中の自分かもしれない。偏った情報で負の側面にばかり注目し、相手の本当の生活ぶりや現実は知らないのに、知っていると思い込みそこで思考を停止してしまう。思考を止め、相手の醜い部分を批判し相互に感情を刺激し憎悪を増大させる。そんなことを考えながら、今日も私は北京のタクシーに乗り込んでこの街を走り回っている。

 ただ一方で、当時メディアが伝えた「恐い中国」が必ずしも嘘ばかり、というわけではない。いかにピクニック気分だったとはいえ、消極的参加者たちも数万人規模のデモ隊の一部を構成し、先頭の過激派を後ろから支える存在だった。どの中国人にも「反日」な気分は多かれ少なかれ存在しているのだ。自分の身の回りの中国人の対応だけを基に、「当時メディアの伝えたことは嘘だ、中国人は善良な人々ばかりだ」と考えるのもまた思考停止である。

「とにかく友好」で日中関係のすべてが片付く時代はとっくに終わった。GDP世界2位の経済大国に成長した中国に対して、「まず謝罪」という姿勢で臨むのも、逆に礼を失する行為だ。そういう意味で、新刊本や雑誌の特集が中国批判をするのは必ずしも「売らんがため」なだけでもない。重要なのは、そこに人間としての判断があるか、思考停止していないか、ということだと思う。

 108人も筆者がいるのだから、「それでも彼らが中国に住む理由」も文章のレベルもおもしろさも(半ばいい意味で)さまざまだ。ただ、この本は頭の中だけで膨れ上がった半ば妄想まじりの安易な中国批判より、ずっと説得力のある「生身の中国人の息づかい」であふれている。ネットでのバッシングも始まっている。それでも現実の書店で読者が1890円を払ってくれるのは、ほぼこの1年間思考停止してきた日本人の中国観が変わり始めている何よりの証拠だろう。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日経平均は4日続伸も方向感出ず、米休場で手控えムー

ワールド

再び3割超の公債依存、「高市財政」で暗転 25年度

ビジネス

キヤノン、キヤノン電子に1株3650円でTOB 上

ワールド

米政権、「第三世界諸国」からの移民を恒久的に停止へ
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果のある「食べ物」はどれ?
  • 4
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 5
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 6
    がん患者の歯のX線画像に映った「真っ黒な空洞」...…
  • 7
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「攻めの一着すぎ?」 国歌パフォーマンスの「強めコ…
  • 10
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 3
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 4
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 5
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 6
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 10
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story