コラム

騒音おばさんを映画化した『ミセス・ノイズィ』はまるで現代版『羅生門』

2020年12月10日(木)12時20分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<2005年、テレビとネットを中心にクローズアップされた奈良の騒音おばさん。嫌がらせであったのは確かだが、なぜメディアはこの程度の軽犯罪の容疑者の顔をモザイク無しでさらしたのか。映画はまさしく、実際の騒動そのままの設定だ>

『ミセス・ノイズィ』というタイトルを目にしたとき、あの騒音おばさんのことだろうかと思う人は、決して少なくないはずだ。僕もその1人。あの騒動を思い出した。それは決して心地よい記憶ではない。

2005年、奈良県生駒郡の主婦の存在が、テレビとネットを中心にいきなりクローズアップされた。主婦はCDラジカセで大音量の音を流し、あるいは早朝にベランダに干した布団を大きな音を立てながらたたき、さらに音に合わせて「引っ越し、引っ越し!」などと大声で叫ぶ。

こうした行為が隣家に対する嫌がらせであることは明らかだ。しかも度が過ぎる。映像は面白おかしくテロップなどを付けられてネットで拡散し、テレビのワイドショーは毎日のように放送した。スタジオに生出演していた自民党の元閣僚が、彼女に対して放送禁止用語を口走ったことも話題になった。

ネットは当然として、多くのテレビ番組も主婦の顔にモザイク処理を施していない。観ながら違和感を持ったことを覚えている。普通ならこの程度の軽犯罪の容疑者の顔はさらさない。それはテレビの良識のはずだ。でもこのときはその抑制が働かなかった。理由はよく分からない。騒動が大きくなる前に、隣家から訴えられた主婦が敗訴していた既成事実があったからなのか。あるいは顔をさらしたほうがインパクトは大きくなるとの計算が、日頃の抑制を上回ったのか。以下はBPO(放送倫理・番組向上機構)のウェブサイトに掲載されている市民からの意見だ。

「奈良の『騒音おばさん』事件では、彼女は極(ご)く限られた範囲の人達に迷惑を掛けただけなのに、モザイク無しの映像を流された結果、全国に顔を知られるところとなった」

僕もこの意見に同意する。メディアは報道機関であって懲罰機関ではない。でもこうやって(視聴率獲得という本音を隠しながら)社会的制裁に出るときがある。

主婦は訴えられて有罪判決を受けたが、その裁判の過程で、家族が難病で苦しんでいたことや、心身が追い詰められていたことなどが明らかになった。そもそもこの映像は隣家が設置した監視カメラのものらしい。誰がテレビ局に持ち込んだのだろう。何かとても嫌なものを感じる。

映画はまさしく、実際に起きた騒動そのままの設定だ。ならば実録なのか。いやそうではない。主人公は女性小説家。彼女と夫との間には幼い娘がいる。新居に引っ越してきた翌日から、隣の主婦がベランダで布団をたたく音に彼女は悩まされる。だから執筆が進まない。夫との関係もぎくしゃくしてくる。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ビジネス

アルコア、第2四半期の受注は好調 関税の影響まだ見

ワールド

英シュローダー、第1四半期は98億ドル流出 中国合

ビジネス

見通し実現なら利上げ、米関税次第でシナリオは変化=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story