コラム

ウクライナとヨーロッパの衰退──理念と現実の間で

2023年09月20日(水)18時10分

EUで成立しようとしている移民協定

EUでは歴史的な移民協定が決定されようとしている。この協定は2024年のEU選挙の前に最終決定となる。この協定が発効するとEU加盟国は一定の人数の移民を受け入れることになるが、1人当たり2万ユーロ(約300万円)を支払うことで受け入れを拒否することもできる。また、移民の受け入れプロセスも変更される。国境での事前審査によって、各人の行き先が決定されるのだが、その手続きには拘留が含まれることもある。

移民受け入れの数は、EU全体で30,000 人からスタートし、120,000人に達するまで毎年上昇すると予想されている。

EUが2020年9月にこの移民協定案を提示した際、70以上の団体が移民への対応を悪化させる危険性があると警告した。新しい協定にも国際的な人権擁護団体ヒューマンライツウォッチはこの移民協定が虐待の可能性を高めることを指摘し、非難している。最大で6ヶ月間も拘留される可能性があり、弱者や家族、子供に対する免除もほとんどない。できるだけ移民を強制送還するという狙いがあるように見えるとヒューマンライツウォッチは語り、2020年の案よりも悪化しているとしている。

この協定では、受け入れを拒絶した国が移民を送り返す先を決定することができるため、基本的な権利が保障されないリスクがある。送り先として可能性が高いのはチュニジアだ。チュニジアは、地中海を渡ってヨーロッパを目指す移民の主な出発地となっている。今年だけで72,000人の移民が地中海を渡り、そのほとんどがイタリアにたどり着いている。

チュニジアとEUは移民に対する協定に署名した。そこには密輸の阻止、国境の強化、移民の帰還のための費用1億1800万ドル(約170億円)が含まれている。この協定は経済危機に陥っているチュニジアを建て直す計画も含まれている。チュニジアは権威主義化が進んでおり、移民に手厚い保護を与えるとは考えにくい。EUは助けを求める移民を金でチュニジアに引き取らせ、チュニジアは金のために受け入れるという構図だ。

EU内部でも反対意見が出ている。ポーランドやハンガリーははっきりと協定に反対しており、両国のポピュリスト与党は反移民のレトリックで自国民を煽っている。ポーランドは反ロシアだが、民主主義の理念を尊重しているわけではないのだ。特にポーランドはすでに100万人を超えるウクライナ難民を受け入れていることから、追加的な受け入れを拒否すると語っており、一人当たり2万ユーロの支払いもボイコットするとしている。ポーランド与党の法と正義党(PiS)の党首は、たとえこの協定がEUによって合意されたとしても、これを受け入れないと宣言した。EU加盟国がEUとしての決定に従わないことは存立基盤を揺るがす大問題となる。

イタリアでポピュリスト政権が誕生したことは記憶に新しく、EUにおいて基盤となる民主主義は大きく後退してきている。幸いなことにイタリアではプーチンに不信感をいだく国民が多いが、その一方でロシアのプロパガンダは広く浸透し、ゼレンスキーへの信頼度も低くなってきている。

ポーランドの状況

ポーランドはロシアのウクライナ侵攻において、100万人を超えるウクライナ難民の受け入れ、ウクライナへの軍事支援などの輸送路として、きわめて重要な役割を果たしている。当然、ウクライナを支援するグローバルノースではポーランドを肯定的に報道しているが、同国ではポピュリスト政権が与党となっており、権威主義化が進んでいる。最新の民主主義の指標V-Demのレポートではこの10年で権威主義化が進んだ国のひとつにあげられているほどだ。

EU諸国との関係もよいとは言えない。たとえばポーランド与党は国民の反ドイツ感情を煽ることに腐心している。党首は「ドイツとロシアのヨーロッパ支配計画」を受け入れないと語り、外相は「EUにはドイツの自制心が必要だ」と発言している。与党は来年の選挙に備えて反ドイツの感情を煽るため、ドイツ首相からの電話での提案を拒否したフェイク動画を公開したほどだ。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ネット世論操作とデジタル影響工作』(共著、原書房)など著作多数。X(旧ツイッター)。明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。新領域安全保障研究所。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

シリア反政府勢力、中部要衝ハマ進攻と表明 政権軍は

ワールド

韓国大統領・前国防相らを捜査 戒厳令巡り反逆の疑い

ビジネス

英企業の賃金上昇率予想、4.0%に鈍化=中銀調査

ビジネス

フランス内閣崩壊、財政赤字削減の道筋不透明に=S&
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 2
    肌を若く保つコツはありますか?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 4
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 5
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 6
    【クイズ】核戦争が起きたときに世界で1番「飢えない…
  • 7
    ついに刑事告発された、斎藤知事のPR会社は「クロ」…
  • 8
    韓国ユン大統領、突然の戒厳令発表 国会が解除要求…
  • 9
    混乱続く兵庫県知事選、結局SNSが「真実」を映したの…
  • 10
    国防に尽くした先に...「54歳で定年、退職後も正規社…
  • 1
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 2
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 3
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 4
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 5
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 6
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 7
    「時間制限食(TRE)」で脂肪はラクに落ちる...血糖…
  • 8
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 9
    エスカレートする核トーク、米主要都市に落ちた場合…
  • 10
    バルト海の海底ケーブルは海底に下ろした錨を引きず…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 10
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story