コラム

不景気の今こそ屋台を復活させよう

2012年08月21日(火)14時47分

今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク

〔8月8日号掲載〕

 僕は今、ソウル大学で講義をするため韓国に来ている。繁華街にスタバやユニクロが並び、チェーンの日本食店も目につくなど日に日に東京に似ていくソウルだが、その中に僕の心を和ませる風景がある。韓国の代名詞であり、東京ではすっかり見なくなった「屋台」だ。

「ポジャンマチャ(包装馬車)」と呼ばれる韓国の屋台は、この国の激動の現代史と共にあった。植民地支配と戦争を経験した極貧の韓国において、資本金なしでリヤカーと人間の力だけあれば始められる屋台は、安定とは無縁のその日暮らしながらも、民衆の生きるエネルギーそのものだった。僕はこの屋台に、閉塞感漂う日本の再生の光を見た。

 韓国の人々は駅やバス停、学校付近に並ぶ簡易屋台でトッポギやおでん、ホトックを頬張る。そして夜には青空居酒屋と化す飲み屋台で、砂肝の辛口炒めや貝のスープをつまみに、日々のつらさと無念を度数の強い焼酎で流し込み、人間の深い情を交わし合ってきた。

 韓国ドラマでも屋台のシーンは欠かせない。男女の距離が決定的に近くなる際の定番だ。おしゃれでタカビーな女性が簡易椅子に座り、焼酎を飲んでは「クーッ」とうなる。このシーンは、いくら容姿が現代的になっても結局は韓国人なんだと、視聴者の安堵を生む。屋台は韓国人のアイデンティティーを形成し、再確認する立派な文化装置でもあるのだ。

 だが一方で、「文明」との対決にもさらされてきた。80年代半ば、韓国に来た日本の友人を姉が屋台に連れていったことがある。その友人は喜んだが、韓国観光公社に勤める父にはひどく叱られた。先進国からの貴重な「お客さん」を、衛生面で問題のある屋台に連れていくとは不届きだというのだ。屋台は韓国の貧しさ、野蛮さを示す「恥部」でもあった。

 90年代初頭には、真夜中の路地裏の屋台で飲んでいると突然取り締まりが始まることもあった。見張り役が「警察だ!」と叫ぶと、屋台の裸電球が一斉に消され静寂が広がる。見知らぬ人たちの間で奇妙な共犯関係が生まれるのだが、それがスリリングだし人間の絆が感じられた。

■「失業したら屋台でもやるさ」

 日本でも韓国でも、現代社会に生きる人々は組織への帰属と競争を強要される。既存の枠組みやレールから外れることは許されない。こうした枠組みを否定すれば、生きていくことすら困難になる。だが一方で、国家や企業が人々に安定と豊かさを提供する時代は終わりつつある。ならば市民には、無力な枠組みから脱し、自分の力だけで生きていける「自活の権利」が与えられるべきではないだろうか。

 そこで登場するのが屋台だ。屋台は立派な失業・貧困対策になる。韓国では人々は失業しても絶望することなく、「屋台でもやるさ」と言い聞かせてきた。不景気と閉塞感漂う日本でも、生活保護や職業訓練より、屋台で自立できるような体制を提供するほうが建設的ではないだろうか。それに、寺山修司や北野武のような鬼才は、スタバやチェーン居酒屋ではなく、人間くさい屋台や路地裏のアナーキーな雑踏から生まれるものだろう。

 東京でも戦後初期には屋台が繁盛していたが、東京オリンピックを機に取り締まりが強化されると、経済成長と反比例してその姿を消していった。だが今、清潔で豊かな環境で過ごす日本人は、アジアの国の汚い屋台に解放感とノスタルジーを感じる。ならば、東京に屋台を復活させればいい。アジア各国からの移住者たちによるアジア屋台村が創設されれば、新たな観光スポットにもなるだろう。

 行政の「親切な指導」によりユッケもレバ刺しも食べられず、猛暑の中で節電に努めなければならないこの夏の夜。いら立ちと苦悶と喉の渇きを癒やしてくれるのは、アスファルトの路上で焼く熱いホルモン焼きと冷たい焼酎、そして、血の通った人々の笑顔かもしれない。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

TikTok禁止法は合憲、米控訴裁が判断

ワールド

ゼレンスキー氏、パリでトランプ氏と会談の可能性=外

ビジネス

S&P500、25年末までに6700に到達=HSB

ワールド

マスク氏、トランプ氏に2.6億ドル献金 ホワイトハ
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、妻の「思いがけない反応」...一体何があったのか
  • 2
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    国防に尽くした先に...「54歳で定年、退職後も正規社員にはなりにくい」中年自衛官に待ち受ける厳しい現実
  • 4
    朝晩にロシア国歌を斉唱、残りの時間は「拷問」だっ…
  • 5
    水面には「膨れ上がった腹」...自身の倍はあろう「超…
  • 6
    「際どすぎる姿」でホテルの窓際に...日本満喫のエミ…
  • 7
    まさに「棚ぼた」の中国...韓国「戒厳令」がもたらし…
  • 8
    健康を保つための「食べ物」や「食べ方」はあります…
  • 9
    北朝鮮、泣き叫ぶ女子高生の悲嘆...残酷すぎる「緩慢…
  • 10
    「もう遅いなんてない」91歳トライアスロン・レジェ…
  • 1
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 2
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、妻の「思いがけない反応」...一体何があったのか
  • 3
    国防に尽くした先に...「54歳で定年、退職後も正規社員にはなりにくい」中年自衛官に待ち受ける厳しい現実
  • 4
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや…
  • 5
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 6
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 7
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 8
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 9
    朝晩にロシア国歌を斉唱、残りの時間は「拷問」だっ…
  • 10
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 9
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 10
    建物に突き刺さり大爆発...「ロシア軍の自爆型ドロー…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story