コラム

ムバーラク王朝を準備するエジプト

2010年11月30日(火)12時04分

 15年ほど前、ある国際会議に出席したとき、エジプト人学者が実に手厳しい口調で、こう断じた。「エジプトには過去三代の王朝が存在してきた。最初はピラミッド文明を築いた古代王朝、二つ目は19世紀から一世紀半続いたムハンマド・アリー朝、そして現在の軍人王朝。」

 1952年に親英王政を打倒して成立した現在の「共和制」が、王政打倒の主人公たる国軍将校たちに牛耳られてきたことを、こっぴどく批判した発言だった。ナセルに始まり70年代のサダト、現在のホスニー・ムバーラクまで、大統領はいずれも国軍出身者で占められている。ムバーラクに至っては、在任30年の超長期政権だ。

 そのエジプトで、この日曜日の28日、人民議会選挙が行われた。エジプト人民議会は70年代末に複数政党制が導入されて以降、現在までに九回実施されたが、その選挙は常に政府による厳しい統制下におかれ、与党の国民民主党の圧倒的勝利に終わってきた。
 
 だが、唯一、統制や弾圧が少なく自由な選挙が行われたといわれているのが、五年前の選挙である。2005年の議会選挙は、当時米国が「中東の民主化を進める」と声高に主張していたことが影響してか、「イラクのように武力で政権転覆される前に多少民主化の姿勢を見せなければ」とばかりに、自由な環境のもとで進められた。その結果、最大野党たるムスリム同胞団出身者が、全議席の五分の一を占めるまでに大躍進した。

 ところが、今回の選挙では同胞団を含めて野党は大惨敗、一議席も取れないのではといわれている。イラク戦争のインパクトが薄れたせいか、米国の「民主化」圧力が弱まったせいか。いずれにしても、政府が堂々と選挙妨害を行うことができる環境が、そこにはあった。多くの投票所では、有権者が入り口にまだ並んでいるのにさっさと門を閉めて投票させなかったり、野党候補のポスターが破られたり。警察と野党支持者の間での衝突も、数々報じられた。不正選挙を糾弾する声が、あちこちで高まっている。

 なぜムバーラク政権は、強引にでも野党を弾圧して政権与党の圧勝を演出したのか。来年予定されている大統領選挙に向けての準備のためだ、というのが、もっぱらの評価である。というのも、齢82歳のムバーラクに代えて、息子のガマール・ムバーラクが出馬すると考えられているからだ。息子への禅譲に備えて、議会を与党でがっちり固め反対勢力をできるだけ潰しておきたいという、親心か。

 民間人である息子ガマールは、新興ビジネス界から支持を得ていると言われる。その分、父ホスニーが掌握してきた軍人層との関係は微妙だ。国軍によって支えられてきたエジプトの「第三王朝」は、大統領の世襲によってムバーラク一族王朝と姿を変えて、「第四王朝」に譲るのか。その王朝交替への道筋をつけるために「民主化」を犠牲にした、というのが今回の議会選挙だったのだろう。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

EU、グリーンランド支持 国際法違反容認せず=コス

ワールド

トランプ氏、グリーンランド購入巡り活発な協議 NA

ワールド

ゼレンスキー氏、トランプ氏との会談を希望 「安全の

ワールド

米、ベネズエラ安定化・復興へ3段階計画 国務長官が
MAGAZINE
特集:AI兵士の新しい戦争
特集:AI兵士の新しい戦争
2026年1月13日号(1/ 6発売)

ヒューマノイド・ロボット「ファントムMK1」がアメリカの戦場と戦争をこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    「グリーンランドにはロシアと中国の船がうじゃうじ…
  • 5
    日本も他人事じゃない? デジタル先進国デンマークが…
  • 6
    マドゥロ拘束作戦で暗躍した偵察機「RQ-170」...米空…
  • 7
    公開されたエプスタイン疑惑の写真に「元大統領」が…
  • 8
    トイレの外に「覗き魔」がいる...娘の訴えに家を飛び…
  • 9
    トランプがベネズエラで大幅に書き換えた「モンロー…
  • 10
    衛星画像で見る「消し炭」の軍事施設...ベネズエラで…
  • 1
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチン、その先は袋小路か
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 3
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙」は抑止かそれとも無能?
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 5
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...…
  • 6
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 9
    アメリカ、中国に台湾圧力停止を求める
  • 10
    感じのいい人が「寒いですね」にチョイ足ししている…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 7
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 10
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story