コラム

トルコ・米国間の不協和音?

2010年06月24日(木)12時37分

 6月半ば、トルコ軍が国境を越えてイラクのクルド地域を攻撃した。その数日後には、クルド組織による報復としてトルコ東部の軍施設が攻撃され、トルコ兵約10名が死亡。何やらきな臭い展開を危惧する報道が、トルコを巡って相次いでいる。

 トルコ軍の対クルド越境攻撃自体は、さほど珍しい事件ではない。トルコ政府は、クルド民族の分離独立を要求するPKK(クルド労働者党)の武装反政府活動に、長年苦慮してきた。国内でPKK弾圧を強めても、PKKの活動家たちは山地続きの隣国、イラクのクルド地域に逃げ込むので、掃討作戦もなかなか効果を挙げられない。越境攻撃は、このように隣国に逃げ込んだ反政府勢力に対する追跡を目的として、過去四半世紀断続的に続いてきた。2003年以前は、イラク政府も同様にクルド勢力の台頭を嫌っていたため、トルコ軍の行動を黙認していた。春秋、年2回の越境攻撃は、一種の恒例行事だったのである。

 この事件を追っていて面白かったのは、PKKから報復を受けたトルコ軍のぼやきである。某退役将校が「PKKの動向について、米国が情報提供してくれなかった」と不満を漏らしたのだ。

 最近のイスラエルを巡る展開、イラン核開発に関する国連の対応を巡り、トルコの対米関係が緊張している。前回のブログで触れたように、イスラエルがトルコ船籍のガザ支援船を攻撃したことで、トルコ・イスラエル間関係が急速に冷え込んだ。イスラエルとの関係悪化は、イスラエルを擁護する米国との関係悪化にもつながる。

 9日、国連安保理で採択された対イラン追加制裁決議に、トルコが反対したこともまた、米政府の神経を逆撫ですることだった。トルコとブラジルは、イラン制裁に代わって、低濃縮ウランの国外搬出案を提案し、トルコがその移送先になると申し出た。その努力に一顧だにせずイラン制裁をさっさと決めるなんて、というトルコの不満があったのだろう。だが反対票を投じた結果、ゲーツ米国防長官はトルコに対する失望を露にし、イスタンブルで予定されていた米・トルコ間テロ対策会議はキャンセルされた。

 トルコにとって対米関係を悪化させることは、まず考えられない選択肢だろう。とはいえ、イスラエルに対する反発を露にするトルコ人の民意、イランを含めた中東の周辺国との外交関係を尊重することも、欠かせない要因だ。

 ガザ支援船攻撃事件の直後には、ガザでエルドアン・トルコ首相の顔写真つきポスターやトルコ国旗が土産品として人気だったらしい。地域社会の人気者で行くか、ビッグボスの顔色を見るか――。今トルコが抱えるジレンマだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

高市首相、中国首相と会話の機会なし G20サミット

ワールド

米の和平案、ウィットコフ氏とクシュナー氏がロ特使と

ワールド

米長官らスイス到着、ウクライナ和平案協議へ 欧州も

ワールド

台湾巡る日本の発言は衝撃的、一線を越えた=中国外相
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナゾ仕様」...「ここじゃできない!」
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 4
    「搭乗禁止にすべき」 後ろの席の乗客が行った「あり…
  • 5
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    【銘柄】いま注目のフィンテック企業、ソーファイ・…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story