コラム

バックトゥー1979年

2009年05月27日(水)19時37分

 中東研究をしていると、必ず質問されることに、「中東なんていう危険で不可解な地域の研究を、どうしてやってるんですか?」というのがある。

 そういうとき、手短にはこう答えることにしている。「大学生のとき、イラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻や、いろいろと国際政治上刺激的な事件がたくさん起こったから」。

 実際はそんなに熱心に国際情勢を追っかける真面目な学生じゃなかったし、単純に「砂漠の人々がかっこよさそう」程度のミーハー気分で始めたのが本音だったりもするが、確かに大学2年生だった1979年という年は、世界を揺るがす大事件が同時多発した年だった。

 それまで親米一辺倒だった王政が革命で倒れ、ホメイニー師を頂点にイスラーム政権がイランにできたことは、宗教が政治の舞台に突然登場した前代未聞の事件だったし、続いてイランの米国大使館が学生に占拠されて米国人が大量に人質になったことは、米国がいまだ引きずるトラウマになった。その直後にはソ連がアフガニスタンの共産主義政権を後押しする形でアフガニスタンに軍事介入、一気に冷戦が熱戦化する危険性を生んだ。冷戦時代、米国はペルシア湾岸の産油国地域を戦略的に重視して、ここにソ連が到達しないように防いできたが、イラン、アフガニスタンが米国の手から離れたことで、ソ連の産油地域への南下可能性がにわかに現実味を帯びたのである。
 
 それだけではない。同じ年におきた事件として、イスラエルとエジプトの単独和平条約、サウジアラビアでのメッカ事件がある。米国の中東学者のなかには、イラクでのフセイン政権の成立もこの大事件群に入れる人がいる。
 
 要するに、今現在国際社会が頭を悩ませている中東起源の諸問題の大半が、79年におきたのだ。イラク戦争へと続いた米国とイラク・フセイン政権との確執、今も続くイランとの対立は、いうまでもない。アフガニスタンのソ連軍に対抗させるために、米国がパキスタンとサウジを抱き込んでイスラーム勢力を武装化し、アフガニスタンに送り込んだことがアルカーイダのそもそもの始まり、というのも、よく知られている。今のパキスタンの混乱も、遠因はそこにある。メッカ事件は、イスラーム勢力がサウジ王政に真っ向から挑戦した初めての事件で、ビンラーディンもこれに影響を受けた。また、イスラエル占領下のパレスチナ人がフラストレーションを強めて、「自分たちで戦うしかない」となったのも、単独和平がパレスチナを置き去りにしたのが発端、ともいえる。
 
 その1979年から、今年で30年。79年の事件はいったい何だったのか。その重要性をきちんと処理しなかったつけを、今の国際社会は払っているのではないか。歴史を振りかえることは、現在と将来の問題に取り組むことである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

情報BOX:パウエル米FRB議長の会見要旨

ビジネス

FRB、5会合連続で金利据え置き 副議長ら2人が利

ワールド

銅に50%関税、トランプ氏が署名 8月1日発効

ワールド

トランプ氏、ブラジルに40%追加関税 合計50%に
MAGAZINE
特集:トランプ関税15%の衝撃
特集:トランプ関税15%の衝撃
2025年8月 5日号(7/29発売)

例外的に低い日本への税率は同盟国への配慮か、ディールの罠か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目にした「驚きの光景」にSNSでは爆笑と共感の嵐
  • 3
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い」国はどこ?
  • 4
    M8.8の巨大地震、カムチャツカ沖で発生...1952年以来…
  • 5
    一帯に轟く爆発音...空を横切り、ロシア重要施設に突…
  • 6
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 7
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 8
    「自衛しなさすぎ...」iPhone利用者は「詐欺に引っか…
  • 9
    街中に濁流がなだれ込む...30人以上の死者を出した中…
  • 10
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの習慣で脳が目覚める「セロ活」生活のすすめ
  • 3
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜つくられる
  • 4
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
  • 5
    航空機パイロットはなぜ乗員乗客を道連れに「無理心…
  • 6
    中国が強行する「人類史上最大」ダム建設...生態系や…
  • 7
    「様子がおかしい...」ホテルの窓から見える「不安す…
  • 8
    タイ・カンボジア国境で続く衝突、両国の「軍事力の…
  • 9
    中国企業が米水源地そばの土地を取得...飲料水と国家…
  • 10
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 4
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 5
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの…
  • 6
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 7
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 10
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story