コラム

「成長戦略」よりタテ社会をヨコに動ける雇用改革を

2013年06月18日(火)18時08分

 安倍政権の成長戦略である「日本再興戦略」が6月14日に発表されたが、ほとんど話題にもならない。相変わらず目立つのが、経済産業省の好きな「ターゲティングポリシー」だ。これは役所が成長産業とみなす特定の産業に補助金や優遇税制を傾斜配分するもので、健康産業、グリーン・エネルギー、観光、教育などが細かく説明されている。

 こういう政策は失敗の連続だった。日本の電機製品が世界の脅威になっていた80年代に通産省(当時)が1000億円の予算を投じて開発したのが「第5世代コンピュータ」だった。これは大型コンピュータの次には「人工知能」の時代が来ると考えた官僚が、日本の電機メーカーからエースを集めてつくった官民プロジェクトだった。しかしコンピュータの主流になったのは「おもちゃ」とバカにされていたパソコンで、日本発の技術で成功したのは任天堂のファミコンだった。

 90年代に通産省と郵政省(当時)が競って力を入れたのは、VAN(付加価値通信網)だった。これはNTTの「データ通信」のような大型コンピュータで企業を結ぶネットワークで、通信自由化でIBMやAT&Tなど外資も参入したが、黒字になったプロジェクトは一つもない。通信の世界を変えたのは、役所に「あんなものは通信じゃない」とバカにされていたインターネットだった。

 2000年代に総務省がぶち上げたのが、全世帯に光ファイバーを引く「光の道」だったが、ブロードバンドの主役になったのはスマートフォンだった。総務省の進めた地上デジタル放送は、2011年にアナログ放送を打ち切るという期限をもうけたため、「地デジバブル」で液晶の過剰生産をもたらし、シャープやパナソニックの経営危機の原因になった。

 こうしてみると、役所の失敗には一定の法則があることがわかる。官僚が「計画経済」で振興しようとするのは、大企業が進めている「本流」の技術であり、それは既存の技術をそのまま高度化する(クレイトン・クリステンセンのいう)持続的テクノロジーであることが多い。しかしすでにIBMやNTTのような大企業の収益の柱になっているような技術が、それ以上のびることは普通ありえない。

 実際に成長したのは、パソコンやテレビゲームやインターネットのような低価格・低品質の破壊的テクノロジーだった。任天堂やソフトバンクのような、役所に放置された(あるいは排除された)「傍流」の企業が日本のIT産業を伸ばしてきたのだ。こういう企業はオーナーが経営判断して責任も自分でとるので、失敗も多いがイノベーションを生み出しやすい。

 問題は、こういう企業に本流の企業のエリートが行かないことだ。彼らは役所や銀行や大学のような生産性の低い(社会的地位は高い)職場に入ったら、定年まで動けない。個人的には優秀でまじめなのだが、サラリーマンには思い切ったリスクがとれない。傍流の中小企業に移ろうとしても、転職すると年金や退職金で数千万円も損をする。たとえ窓際でも「東証一部上場企業」のブランドを捨てられない。

 人類学者の中根千枝氏は、このような日本社会の構造をタテ社会と呼んだ。これはタテの序列の強い階級社会という意味ではなく、会社などの中間集団ごとにタテ割りになってヨコに動けない社会という意味だ。このタテ社会の中で「空気」を読んで本流に残ることがサラリーマンの生活の知恵だ。

 しかし現実は変わり始めている。先日、私の学生時代のゼミの同窓会で10数人が集まったら、卒業して就職した会社にいたのは1人だけだった。「終身雇用」という神話が生きていた団塊の世代とは違い、私の世代以降はますます会社の寿命は短くなり、自分で自分の人生を決める必要に迫られるだろう。

 それは「成長戦略」の作文を書いている官僚も同じだ。天下り先もなくなり、事務次官OBでさえ自力で再就職先をさがす時代になった。再就職のチャンスを広げるには、終身雇用や年功序列という日本的バイアスを強めている雇用規制をやめ、オープンな労働市場でエリートがヨコに動ける社会に変える改革が重要である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

セルビアはロシアとの協力関係の改善望む=ブチッチ大

ワールド

EU気候変動目標の交渉、フランスが首脳レベルへの引

ワールド

米高裁も不法移民送還に違法判断、政権の「敵性外国人

ビジネス

日銀総裁、首相と意見交換 「政府と連絡し為替市場を
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 9
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story