コラム

スティーブ・ジョブズの「生涯で最高の出来事」

2011年10月06日(木)19時26分

 アップルの会長、スティーブ・ジョブズが死去した。今さら彼についての説明は不要だろうが、日本のビジネスマンにとって切実な問題は、どうしたら彼のようなイノベーターが生まれるのかということだろう。短い答は、それは不可能だということだ。モーツァルトのまねをしようとしても不可能なように、ジョブズのような天才を他の人がまねることはできない。

 しかしアップルの奇蹟は、彼ひとりでできたわけではなく、いろいろな偶然が重なってできたものだ。ジョブズは1977年にアップルを創業したが、1985年にはアップルを追放され、1997年に経営陣に復帰した。いったん会社を追放された経営者が、もとの会社に戻って実権を握るということは、普通はありえない。それが可能になったのは彼が偉大だったからではなく、アップルの経営が悪化して経営を引き受ける人がいなかったからだ。

 アップルは、ジョブズを追放してからも内紛が絶えず、経営者が交代するたびに経営方針が変わり、多くの幹部社員が辞めていった。巨額の赤字を出し、CEO(最高経営責任者)の仕事は買収してくれる企業をさがすことだった。しかしマイクロソフトとの戦争の敗者を買収する会社はなく、異例のCEO不在という事態になり、ジョブズに懇願して「暫定CEO」として迎え入れたのだった。

 このためジョブズは、まるで創業のときのようにすべての決定権をもち、当時の役員をすべて辞任させ、製品系列を大幅に削減して大量の社員を解雇した。その結果、アップルはよくも悪くもジョブズの「ワンマン企業」になったのだ。これがジョブズがアップルを生まれ変わらせることができた第一の原因である。

 普通は、アップルのように全世界に現地法人をもつ大企業を一人で経営することはできない。経営陣のゴタゴタも、各部門を担当する役員の内紛によるものだった。しかしジョブズは、35系列あった製品を5系列に絞ることによって、こうした社内政治をなくし、彼がすべての製品を直接コントロールした。

 もう一つの成功の原因は、ハードウェアをすべて外注したことだ。iPadの背面を見ると"Designed by Apple in California Assembled in China"と書かれている。部品には日本製も多いが、組み立ては中国でやっており、アップルにはハードウェア工場はない。かつてマッキントッシュでソフトウェアとハードウェアを一体で生産したときは、自社の工場で生産したため、高コストになって失敗したが、iPadはサムスンなどのタブレット端末と比べても価格競争力がある。

 つまりコンピュータという複雑な製品の大部分を海外にアウトソースし、アップルはソフトウェアに特化し、製品系列も減らすことによって、ジョブズは自分の理解できる範囲に会社を縮小した。その結果、彼の思い通りの製品をつくることができ、シンプルで完成度の高い「作品」ができた。彼はマッキントッシュの失敗に学んだのだ。

 もちろん、その結果できた製品には好き嫌いがある。特にプラットフォームを独占してアプリケーションを審査し、高い手数料をとる手法は「独裁的」だと評判が悪い。しかしそう思う人は、他社の製品を買えばよい。最終的には、どのプラットフォームでよいソフトウェアが出てくるかで勝負は決まる。市場占拠率はグーグルのAndroidがアップルを抜いたが、今のところアプリケーションの質についての評価はアップルのほうが高い。

 このようにジョブズの奇蹟は、シリコンバレーという特異な風土で、大きな失敗を繰り返す中で生まれてきたもので、他の国でまねることは不可能だろう。しかし日本の企業がそこから学ぶことはできる。それは失敗を許し、そこから学ぶことが重要だということである。日本の大企業では、新しいアイディアは複雑な組織の中で生まれる前に死んでしまい、ジョブズのように失敗することもできない。

 ジョブズは、アップルから追放された経験を「生涯で最高の出来事だった」と振り返っている。その失敗に学んで彼は視野を広げ、企業を経営する知恵を身につけたのだ。イノベーションのほとんどは失敗であり、失敗を恐れていては創造性は生まれない。日本企業の失敗を許さない組織を、失敗しやすいしくみに変えていくことが必要だ。私の新著『イノベーションとは何か』(東洋経済新報社)ではそれをテーマにしたので、お読みいただければ幸いである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米、高金利で住宅不況も FRBは利下げ加速を=財務

ワールド

OPECプラス有志国、1─3月に増産停止へ 供給過

ワールド

核爆発伴う実験、現時点で計画せず=米エネルギー長官

ワールド

アングル:現実路線に転じる英右派「リフォームUK」
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「今年注目の旅行先」、1位は米ビッグスカイ
  • 3
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った「意外な姿」に大きな注目、なぜこんな格好を?
  • 4
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 5
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつか…
  • 6
    筋肉はなぜ「伸ばしながら鍛える」のか?...「関節ト…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 10
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 7
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 10
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story