コラム

これからの蚊対策は「殺さず吸わせず」 痒いところに手が届く、蚊にまつわる最新研究3選

2024年07月12日(金)18時50分

2.蚊は安全のために腹八分目で吸血を止める?

理研の佐久間知佐子上級研究員、東京慈恵会医科大の嘉糠洋陸教授らの研究チームは、哺乳類の血液中にあるフィブリノペプチドA(FPA)という成分が、ネッタイシマカの吸血を停止させるシグナルとして働くことを発見しました。研究成果は生命科学系のオープンアクセス誌「Cell Reports」に6月20日付で掲載されました。

この研究成果を応用すれば、人為的に蚊の吸血停止を誘導する手法の開発や、蚊が媒介する感染症の新たな対策法として役立つ可能性があります。


蚊はヒトだけでなく、家畜のウシやブタ、ペットのイヌやネコなど様々な動物を刺して吸血します。動物が発する二酸化炭素やにおい、熱によってターゲットを感知し、近づくと、口吻で皮膚をチクッと刺し、さらに血管を探り当て、ほんの少し味見をしてから吸血の続行を決定します。

このとき、刺された動物の血液に常に存在するアデノシン三リン酸(ATP)が、蚊の吸血を促す物質としてシグナルを送り続けることは先行研究で知られていましたが、吸血を終えるタイミングを決めるメカニズムは解明されていませんでした。

吸血するメス蚊は、卵の成長のために血液で効率的にタンパク質などの栄養素を摂りたいのですが、長時間の吸血は動物に気づかれて叩かれたり潰されたりするリスクが高まります。そこで、適当なタイミングで吸血を止める必要があります。お腹いっぱい(腹部膨満)がきっかけとなるという研究報告はありますが、実際の観察ではそうでない例も多く、謎のままでした。

研究グループは、吸血停止に関わる物質も刺される動物の血液中にあるのではないかと考えて、メスのネッタイシマカとマウスを用いて、探索しました。

まず、実際の血液とATP溶液に対する吸血行動を比較したところ、直接マウスから吸血した場合の方が摂取量は少なくなりました。つまり、血液に本来含まれる何らかの物質に、吸血を抑制する働きがあると推測されました。また、マウスから直接吸血させると、お腹いっぱいになる前に吸血を止める個体がほとんどであることから、吸血抑制物質は吸血の後半で急速に増加・活性化する物質であると予想されました。

次に、吸血抑制物質の正体を突き止めるために、血液を成分ごとに分けて解析しました。その結果、ATP溶液に血清を加えると、ATP溶液を単独で与えたときと比べて、お腹いっぱいになるまで吸血するネッタイシマカの割合が減りました。このことから、血清に吸血抑制物質が含まれていると示唆されました。

さらに解析を進めると、血液凝固が起きるときに最初に作られるFPAが吸血停止シグナルとして機能する物質として同定されました。

検証のため、ATP溶液に合成FPAを添加したり、血液をFPA生成阻害剤で処理したりした結果、FPAがないと蚊の吸血は促進されること、血中のFPAを増やすと吸血を途中で止める個体が増加することが観察されました。

研究者たちは、蚊には腹部膨満という物理的な吸血停止と、FPAによって腹八分目でも停止する機構が共存していることから、順調に吸血できずに通常よりも長く時間をかけてしまった場合でも吸血を止める仕組みが備わっているのだと考察しています。また、哺乳類では動物種が違ってもFPAの構造はよく似ているため、FPAで感知するシステムは理にかなっていると考えています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米ISM製造業景気指数、4月48.7 関税の影響で

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story