コラム

良くも悪くもイメージを変えられないヒラリーの回想録

2017年09月22日(金)16時00分

これまでの回想録では、正しいことを言おうとする努力や、言いたいことをがまんする硬さが「ヒラリーの回想録は退屈」という評価につながっていた。だが、『What Happened』には、これまでになかったような本音や率直な意見だけでなく、ユーモアも盛り込まれている。

たとえば、大統領就任式でのシーンだが、トランプの「アメリカ第一」という排他的な演説に対して、出席していたジョージ・W・ブッシュ元大統領が「That was some weird shit(なんともけったいな戯言だったな)」とテキサス式単刀直入な表現で感想を言ったことについて、「私もおおいに同感」と書いている。

また、「この本を読んでいる人の多くが、将来大統領選で負けるとは思わないけれど」と書いた後で(でも、もしかしたら読んでいる人がいるかも。ハイ、ジョン、ハイ、ミット、元気にしてる?)と、2008年の敗北者ジョン・マケイン、2012年の敗北者ミット・ロムニーに呼び掛けたりしている。

トランプのプーチンに対する過剰な関心と寛容を「ブロマンス」(恋人ではないけれど、それ以上にロマンチックな男性同志の友人関係)と呼び、プーチンに会ったときのことを「プーチンと会談したとき、地下鉄で横柄に脚を広げてほかの人の席を独り占めしている 男性みたいだった」とも表現している。

トランプへの批判は、周知の事実ばかりなのでここに書く必要はないが、ヒラリーは、リベラルのメディアも強く批判している。

選挙中の偏った「公平さ」だけではない。選挙後のメディアに流行っている「都市部のインテリ批判」もそうだ。繁栄に取り残された地方の白人たちのやるせない気持ちを民主党が汲み取り損ねたのは事実だが、だからといって、高学歴者や高収入者が言い訳をしなければならないような「反知性主義」的な雰囲気が高まっているのは問題だ。<参考記事「トランプに熱狂する白人労働階級「ヒルビリー」の真実」

それについて、ヒラリーはこう書いている。

「大統領選以降、マスコミの評論家たちが型通りのトランプ支持者をやみくもに崇拝するがあまり、東海岸と西海岸に住む大卒の学歴を持つ者の意見を、見当違いだとか、現実に疎いとか言って却下する。それに対して気が狂いそうになる」

「負けたのだから黙って消えてくれ」とか「言い訳は聞きたくない」という批判も予期していて、ヒラリーはこう反論している。

「終わってしまった大統領選を少しでも『ほじくり返す』ような発言は聞きたくはないという人がいるのは理解できる。みな疲れ切っている。トラウマを抱えている人もいる。政治からは距離を置いて、国家の安全という分野に絞ってロシアについて語りたい人もいる。それらすべてがよくわかる。けれども、何が起こったのかを理解するのは重要だ。なぜなら、二度と同じことを繰り返さないための唯一の方法だから」

こうも書いている。

「もしすべてが私のせいだと認めてしまうと、メディアは内省をする必要がなくなってしまう。共和党はプーチンの介入が大したことではないと言うだろうし、民主党は自分たちの思い込みと処方に疑問を持つ必要がない。そのままふんぎりをつけて次に進んでしまう」

ヒラリーの回想録で最も重要なのは、実はここではないかと思うのだ。私たち有権者は、敗北者にすべての責任を押し付け、自分では内省もせずに前に進んでしまう。ジョージ・W・ブッシュが勝ち、アル・ゴアが負けたときもそうだった。イラク戦争が起こり、いまだに続いているのは、ブッシュだけではなく、アメリカ国民のせいでもあるのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

日仏、円滑化協定締結に向けた協議開始で合意 パリで

ワールド

NATO、加盟国へのロシアのハイブリッド攻撃を「深

ビジネス

米製造業新規受注、3月は前月比1.6%増 予想と一

ワールド

暴力的な抗議は容認されず、バイデン氏 米大学の反戦
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story