コラム

日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか

2015年07月31日(金)19時00分

hosoya20150803.jpg

 なぜこうなってしまったのか。実に奇妙な事態になってしまった。これほどまで熱く平和が語られ、これほどまで厳しく政府への批判がなされる中で、日本が選択すべき安全保障政策についての具体的な提案や主張がほとんど見られないのだ。

 安全保障政策の選択を間違えれば、その国の安全は崩れてしまい、国民の生命を守ることはできない。国際政治の歴史をこれまで研究し、また大学で教える立場にある者として、歴史上多くの国が安全保障政策の選択を間違えたことで、国民の生命を犠牲にして、不毛な戦争を招いてきたことを学んできた。経済政策を一つ間違えても国が滅びることはあまりない。しかしながら、安全保障政策の一つの誤りが、国家の存亡に直結した例は溢れている。74年前に日本は、安全保障政策の選択を間違えて、平和を破壊し、膨大な数の国民の生命を奪い、またアジア太平洋地域に破滅的な惨状をもたらした。これほどまで重要な安全保障政策について、これほどまで語られることがないというのは、どういうことなのだろうか。

 今から20年ほど前。私はイギリスの大学院に留学して、国際安全保障を専門とするスチュアート・クロフト教授の下で国際政治学や外交史を学んだ。クロフト教授は、斬新な視点から国際安全保障を研究する著名な研究者で、ロンドン大学キングス・カレッジのローレンス・フリードマンのようなリアリズムの観点から戦略研究や戦争研究をするアプローチとは異なる、より総合的で、より多角的な新しい安全保障研究のアプローチを模索していた。当時の日本の大学では、国際安全保障研究はほぼ皆無の状態であった(現在もあまり変わらない)。日本で国際安全保障論を体系的に学んだことのなかった私にとって、クロフト教授の国際安全保障論の授業で扱うテーマすべてが新鮮で、驚くことばかりであった。当時は冷戦終結間もない時期で、どのようにしたらヨーロッパ、そして国際社会で平和や安全を維持することができるか、確立することができるのか、ヨーロッパやアジアや中東から来た学生たちと意見を交えた。当時は、ユーゴスラビアの内戦においてスレブレニッツァで8000人ほど(ユーゴスラビア紛争全体では20万人ほど)が虐殺され、またルワンダでは90万人ほどが虐殺されていた。

 日本国憲法前文では、「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と書かれており、さらには「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる」と高らかに謳っている。ところが私が90年代の半ばに目にした現実は、日本国民の多くがそのような「専制と隷従、圧迫と偏狭を地球から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に対して、おどろくほど冷淡であり、無関心なことだった。

プロフィール

細谷雄一

慶應義塾大学法学部教授。
1971年生まれ。博士(法学)。専門は国際政治学、イギリス外交史、現代日本外交。世界平和研究所上席研究員、東京財団上席研究員を兼任。安倍晋三政権において、「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、および「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」委員。国家安全保障局顧問。主著に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和』(有斐閣、櫻田会政治研究奨励賞)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『国際秩序』(中公新書)、『歴史認識とは何か』(新潮選書)など。

ニュース速報

ビジネス

仏成長率、2016・17年は1.3% 18年以降徐

ビジネス

福島原発事故費、倍増21.5兆円 東電「債務超過で

ビジネス

ユーロ圏経済、政治リスク大きく依然支援が必要=EC

ワールド

「偽ニュース」は危険、迅速な対策を=クリントン氏

MAGAZINE

特集:THE FUTURE OF WAR 未来の戦争

2016-12・13号(12/ 6発売)

AI、ドローン、ロボット兵士......進歩する軍事技術は 新時代の戦場と戦闘の姿をここまで変える

人気ランキング

  • 1

    今がベストなタイミング、AIは電気と同じような存在になる

  • 2

    韓国「崔順実ゲート」の裏で静かに進む経済危機

  • 3

    米ルビオ議員、南シナ海の領有権問題で対中制裁法案──トランプ新政権に行動を促す

  • 4

    トランプが仕掛ける「台湾カード」 中国揺さぶりのも…

  • 5

    光熱費、電車賃、預金......ぼったくりイギリスの実態

  • 6

    マドンナ、トランプに投票した女性たちに「裏切られ…

  • 7

    北朝鮮が中国への「大麻」輸出に乗り出す

  • 8

    来週プーチン露大統領来日、北方領土への期待値下げ…

  • 9

    「トランプ劇場」に振り回される習近平

  • 10

    トランプ政権の国防を担うクールな荒くれ者

  • 1

    トランプ-蔡英文電話会談ショック「戦争はこうして始まる」

  • 2

    マドンナ、トランプに投票した女性たちに「裏切られた」

  • 3

    トランプ氏、ツイッターで中国批判 為替・南シナ海めぐり

  • 4

    イギリス空軍、日本派遣の戦闘機を南シナ海へ 20年…

  • 5

    内モンゴル自治区の民主化団体が東京で連帯組織を結…

  • 6

    「3.9+5.1=9.0」が、どうして減点になるのか?

  • 7

    インターポールも陥落、国際機関を囲い込む中国の思惑

  • 8

    今がベストなタイミング、AIは電気と同じような存在…

  • 9

    トランプ、ボーイングへのエアフォース・ワンの注文…

  • 10

    トランプが仕掛ける「台湾カード」 中国揺さぶりのも…

  • 1

    トランプファミリーの異常な「セレブ」生活

  • 2

    「トランプ勝利」世界に広がる驚き、嘆き、叫び

  • 3

    注目は午前10時のフロリダ、米大統領選の結果は何時に分かる?

  • 4

    68年ぶりの超特大スーパームーン、11月14日に:気に…

  • 5

    米大統領選、クリントンはまだ勝つ可能性がある──専…

  • 6

    トランプ勝利で日本はどうなる? 安保政策は発言通…

  • 7

    【敗戦の辞】トランプに完敗したメディアの「驕り」

  • 8

    安倍トランプ会談、トランプは本当に「信頼できる指…

  • 9

    「ハン・ソロとレイア姫」の不倫を女優本人が暴露

  • 10

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

日本再発見 「五輪に向けて…外国人の本音を聞く」
リクルート
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

『ハリー・ポッター』魔法と冒険の20年

絶賛発売中!