コラム

日中の交流を妨げる? 不思議な漢字の力

2011年01月31日(月)12時19分

今週のコラムニスト:安替(マイケル・アンティ)

 東京大学の客員研究員として日本に滞在した約2カ月間、中国語と英語しかできない中国人ジャーナリストの私のために、招聘元の国際交流基金は常に通訳を付けてくれた。おかげで日本の友人たちとの交流や講演、取材はすべてうまくいった。だがまったく日本語の分からない私にも、日本を理解するある特別な方法があった。それは漢字だ。

 日中両国は100年前は筆談で外交ができたし、現代中国語の専門的な単語の70%以上は日本語由来とされる。私も滞在中に読売新聞を購読し、日本の主なニュースを理解していた。新聞記事では日常会話より多くの漢字が使われる。政治記事になるとその割合は7、8割になる。

 私はツイッター上でタレントの蒼井そらと蓮舫行政刷新担当相という2人の日本人女性をフォローしている。蒼井そらの日本語のツイートは分からないが、蓮舫が日本の行革について語るとき、漢字の比率は8割以上になる。だから、すべての中国人は彼女の主張のポイントを理解できる。私のジャーナリストとしての日本理解も、漢字のおかげで一般的な欧米記者の一歩前を行っている。少なくとも半分は分かると言っていい。

 だが残りの半分を理解する道は険しい。中国人にとって漢字は日本について学ぶ上で誤解を招きやすい、最大の難関でもあるからだ。一部の日本語の漢字は、中国語の知識ではまったく理解できない。「大丈夫(中国語では勇者)」「娘(中国語ではおばさん)」といったよく知られた単語のほかにも、両国の翻訳者たちが見落としている重要な言葉がある。

■日本の菅首相が「幽体離脱」

 昨年ソウルで開かれたG20の際、日本メディアは菅直人首相の「存在感がなかった」と報じた。この「存在感」というのは、中国人にとって実に厄介な言葉だ。読売新聞の見出しでこの言葉を見つけたとき、すっかり困惑してしまった。

 中国語の「存在感」には、「存在の知覚(the sense of existence)」という意味がある。何とも哲学的な言葉だ。「会議で菅首相の存在感がなかった」というのは、中国語では「会議が開かれているときに、菅首相の精神は会場になかった」という意味になる。そんなことができるのはプラトンか荘子、あるいは老子かブッダかダライ・ラマぐらいだ。

 辞書を調べれば、日本語の「存在感」には知名度や露出度のニュアンスがあることが分かる。ちなみに中国人ツイッターユーザーの中で一番「存在感のある」日本人は蒼井そら女士である。だからといって、彼女が生命の根源を理解したわけではない(笑)。

 面白いことに、私が読んだ『パブリック・ディプロマシー』という日本語の本の中国語版では、「存在感」がまったく翻訳されないまま中国語として使われていた。これは誤訳なのか? そうだとも言えるし、そうでないとも言える。

 作家の魯迅は一貫して「直訳」を勧めていたし、中国は近代化の過程で「日本製漢字」を積極的に中国語に取り入れてきた。ここ数年交流が加速している中国と台湾では、双方がそれぞれの「中国語」をためらうことなく取り入れ、結果的にそれぞれの言葉は豊かになっている。

 漢字は時に双方の交流を邪魔することもある。欧米人は日本人の名前や地名の発音だけを覚えればいいが、中国人は必ず中国語式発音(つまり漢字)と日本語式発音を覚える必要があるからだ。

『ロンリープラネット』は世界的に有名な英語の旅行ガイドだが、その日本編の中国語版は英語で書かれた地名が漢字に変換されていないため、中国人にとってはまったく役に立たない。ジャッキー・チェンの映画『新宿事件』を見た中国人にとって歌舞伎町は非常になじみのある地名だが、「kabukicho」という文字を見て、それが中国語で言う「グーウージーディン」だとピンとくる中国人など、ほとんどいないのだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

ニュース速報

ワールド

アングル:マラソン演説と大量のお茶、党大会に見た中

ビジネス

焦点:ブラックマンデーから30年、株価暴落の再来あ

ワールド

北朝鮮局長「核保有は死活問題」、米国と協議計画せず

ワールド

焦点:中国の「バブル世代」、苦労知らずの若者が抱く

MAGAZINE

特集:中国予測はなぜ間違うのか

2017-10・24号(10/17発売)

何度も崩壊を予想されながら、終わらない共産党支配──。中国の未来を正しく読み解くために知っておくべきこと

グローバル人材を目指す

人気ランキング

  • 1

    国民審査を受ける裁判官はどんな人物か(判断材料まとめ・前編)

  • 2

    生理の血は青くない──業界のタブーを破った英CMの過激度

  • 3

    性的欲望をかきたてるものは人によってこんなに違う

  • 4

    国民審査を受ける裁判官はどんな人物か(判断材料ま…

  • 5

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 6

    「チョコレートは、あなたの脳力をブーストする」と…

  • 7

    国民審査を受ける裁判官はどんな人物か(判断材料ま…

  • 8

    【セックスロボット】数年以内に「初体験の相手」と…

  • 9

    「お母さんがねたので死にます」と自殺した子の母と…

  • 10

    年内にも発売されるセックスロボット、英研究者が禁…

  • 1

    iPhoneX(テン)購入を戸惑わせる4つの欠点

  • 2

    生理の血は青くない──業界のタブーを破った英CMの過激度

  • 3

    国民審査を受ける裁判官はどんな人物か(判断材料まとめ・前編)

  • 4

    ポルノ王がトランプの首に11億円の懸賞金!

  • 5

    トランプ、金正恩の斬首部隊を韓国へ 北朝鮮に加え…

  • 6

    性的欲望をかきたてるものは人によってこんなに違う

  • 7

    iPhone8はなぜ売れないのか

  • 8

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 9

    NYの電車内で iPhoneの「AirDrop」を使った迷惑行為…

  • 10

    北朝鮮との裏取引を許さないアメリカの(意外な)制…

  • 1

    「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」

  • 2

    「北朝鮮はテロリストだ」 北で拘束された息子は異様な姿で帰国し死んだ

  • 3

    北朝鮮はなぜ日本を狙い始めたのか

  • 4

    「金正恩の戦略は失敗した」増大する北朝鮮国民の危…

  • 5

    トランプの挑発が、戦いたくない金正恩を先制攻撃に…

  • 6

    米軍は北朝鮮を攻撃できない

  • 7

    北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

  • 8

    中国が北朝鮮を攻撃する可能性が再び----米中の「北…

  • 9

    米朝戦争が起きたら犠牲者は何人になるのか

  • 10

    iPhoneX(テン)購入を戸惑わせる4つの欠点

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

全く新しい政治塾開講。あなたも、政治しちゃおう。
日本再発見 シーズン2
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版 特別編集

最新版 アルツハイマー入門

絶賛発売中!