コラム

日本が伝えない「バカ大統領」自殺の真実

2009年06月30日(火)20時02分

今週のコラムニスト:コン・ヨンソク

 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が自殺して1カ月。日本ではすでに過去の話だが、韓国では今もその余波が収まらない。そこには日本で伝えられない、国民のなかに流れる特別な感情がある。

 たしかに日本で盧武鉉のイメージは悪かった。しかし隣国の前大統領が非業の死を遂げたのだ。もう少しニュースになってもいいと思うのだが、自殺直後の日本のメディアは淡々と事実関係を述べるに過ぎなかった。

 そして案の定、韓国の歴代大統領の不正疑惑と同一線上で報じられた。だが、いくら不正疑惑とはいえ、彼が命を賭けて闘った軍事独裁者の全斗煥(チョン・ドゥファン)や、その右腕の盧泰愚(ノ・テウ)と同じように扱うなんて......。もう少し深い洞察がほしかった。専門家の言う「左右の対立」というお決まりの説明を鵜呑みにするのではなくて。

 韓国社会の真実がこうも歪められては、日韓新時代も夢のまた夢だと思い、ちょっと場違いかもしれないが、今回は盧武鉉の真実について述べたい。

 僕がこの問題に興味を持ったのは、彼の死自体よりもその後の韓国社会の反応だ。とりわけ、10万人も集まった5月末の追悼集会に参加した20歳の大学生がしたためた次の言葉に心打たれた。「あなたの死が無駄にならないよう『真の民主主義』のために一生懸命勉強し、それを守るために努力します」

 「ノちゃん」と国民の間で親しまれた盧武鉉。訛りとユーモアたっぷりの語り口、厳粛な権威主義を嫌う気さくさ、つい口がすべり墓穴を掘る間抜けなところ。みな、アマチュア大統領の品格のなさといえばそれまでだ。

■すべてが「バカ盧武鉉」の責任

 しかし彼は高卒でも、人権派弁護士出身でも大統領になれることを証明した生きた革命児であった。盧武鉉大統領の誕生は、いわば日本のドラマにもあった「キムタク総理」のように、理想を追い求める素人大統領の実社会版だったのだ。

 そんなノちゃんに付けられたあだ名は「バカ盧武鉉」。そう、彼は世界一のバカだった。言いたいことを正直に言い、検察、マスコミ、財閥、ソウルといった既得権益層に果敢に挑戦した。分断国家の大統領が良心的兵役拒否を認める発言をするほど大バカ者だった。

 彼は学歴、地縁、財力が物をいう韓国社会のカウンターバリューの象徴だった。だから庶民は彼を、韓国社会を変えてくれる「救世主」だと信じた。

 だが、ノちゃんは期待を裏切り続けた。性急な改革案は保守・資本側の大連合を生み、イラク派兵やFTA交渉などの現実路線は支持者離れを促した。さらにマスコミとの関係悪化もあって彼の人気は凋落し、「進歩派無能論」が勢いを増した。そこで、人々は彼に責任をなすりつけ始めた。「あいつは救世主なんかではなかった、単なるバカだった」

 その後は、バッシングの嵐が吹いた。悪いことの責任はすべて盧武鉉に向けられ、「盧武鉉のせいだ」は流行語になった。サッカー韓国代表が負けても、イ・スンヨプが三振しても、キム・ヨナがフリーで転んでも、すべて「盧武鉉のせいだ」と叩かれた。

 人々は、アンチ盧武鉉の大合唱に乗ってしまった。しかし今、彼らは盧武鉉の非業の死に少なからず罪悪感を覚えている。ある中年女性は、彼に投票したことを隠してきたのが申し訳ないと号泣した。まるで、「イエス(キリスト)」を裏切った後、それを悔い改める弟子達のように、人々は「バカ盧武鉉」の「復活」に心を動かされている。

■盧武鉉は愛と正義と罪悪感の象徴

 ある意味でバカ盧武鉉は、人々の心の奥底にかすかに残っている良心、正義、勇気、そして愛の象徴だった。盧武鉉の死は、その「心の風」を呼び起こした。人々は、彼を見捨てた罪悪感とともに、権力に迎合して生きる自分のあり方を恥じる。そして、そういう生き方を強要している権力構造に怒りの矛先を向け始めている。

 大統領としての盧武鉉を美化することは間違っている。だが、人々に感動と覚醒と勇気を与えた「バカ盧武鉉」の復活は、同じ市民として注目していいのではないだろか。

 保守派は金大中・盧武鉉政権期を「失われた10年」と呼んだが、実際はこの10年間に韓国のソフトパワーは飛躍的に増大した。人々はようやくこの10年が、元死刑囚や高卒が大統領になり、その大統領をバカと呼べる、幸せな時代だったことに気づいたのだ。

 国民葬の葬儀委員長で、盧武鉉政権下で韓国史上初の女性総理になった韓明叔(ハン・ミョンスク)の弔辞がすべてを物語っている。「大統領、ごめんなさい。愛しています。そして、幸せでした。」

 さて、麻生総理によれば総選挙もそう遠くないらしい。願わくば、日本でもその人が死んだ時に心から「ごめんなさい」といえる、そんな指導者の顔をみてみたいものだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ブルガリアがユーロ導入、21カ国目

ビジネス

中国BYD、25年EV販売テスラ超えの公算 国内逆

ワールド

ロシアとウクライナ、新年の攻撃に非難応酬 ヘルソン

ワールド

スイスのバー火災、約40人死亡・100人超負傷 身
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙」は抑止かそれとも無能?
  • 2
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 3
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチン、その先は袋小路か
  • 4
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 5
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    日本人の「休むと迷惑」という罪悪感は、義務教育が…
  • 8
    「断食」が細胞を救う...ファスティングの最大効果と…
  • 9
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 10
    【現地発レポート】米株市場は「個人投資家の黄金時…
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story