コラム

金子勇氏とWinnyとともに日本が失ったもの

2013年07月09日(火)15時56分

 7月6日、ファイル共有ソフトWinnyの作者、金子勇氏が急性心筋梗塞で死去した。享年42歳。あまりにも早い死だった。警察が彼を逮捕し、Winnyを葬り去ったことによって日本が失ったものは限りなく大きく、もう取り戻すことはできない。

 Winnyは、2002年に開発されたP2Pソフトウェアである。P2Pというのは、インターネットでサーバを介さずにパソコン同士で直接ファイルをコピーするシステムで、1999年にアメリカで開発されたナップスターが最初である。これは著作権法違反として禁止されたが、その後も世界各国でP2Pソフトが開発された。

 Winnyもその一つだが、著作権法違反に問われるおそれがあるため、金子氏(当時は東大助手)は2ちゃんねるに「47」という匿名でプログラムを投稿した。これは大量のデータをコピーするために多くの中継点に部分的なキャッシュ(一時コピー)を残し、次にコピーするときはそのキャッシュを集めて速度を上げるなど、当時としても先進的な技術を使っていた。

 しかしWinnyを使って映画をまるごとコピーするなどの事件が頻発し、一時はネット上の通信量の半分以上をWinnyが占めた。ウイルスができてパソコンのデータを流出させる事件も起こり、京都府警のパソコンもWinnyのウイルスに感染して容疑者の名前などのデータが流出した。これはWinnyそのものの問題ではないが、次第にWinnyを問題視する風潮が広がり、政府はWinnyの使用をやめるよう呼びかけた。

 京都府警は2004年、著作権法違反「幇助」の容疑で金子氏を逮捕した。P2Pソフトの利用者を違法とする判決は世界に多いが、開発者が逮捕されたのはこの事件が初めてだった。これは世界的な反響を呼び、ちょうどアメリカでは銃規制が問題になっていたため、ローレンス・レッシグ(ハーバード大学教授)は「違法コピーの道具の開発者が逮捕されるなら、銃の製造・販売業者はすべて殺人の幇助で逮捕すべきだ」と主張した。

 一審の京都地裁は金子氏を有罪としたが、二審では逆転無罪となり、2011年に最高裁が検察側の上告を棄却して無罪が確定したが、このときはもう遅かった。金子氏の逮捕で「P2Pは違法だ」というイメージが広がり、日本ではP2Pシステムの開発が止まってしまったのだ。それどころか検索サーバにキャッシュを置くのも違法だといわれ、検索エンジンの開発も止まった。

 その間に世界では、P2P技術を利用したIP電話、スカイプが普及し、今では国際通話のほとんどはスカイプで行なわれるようになった。これで使われたのが、金子氏の開発したキャッシュ技術だった。他にもこの技術はサーバ間の転送などに使われており、もしWinnyが合法的に改良されていれば、日本から革新的なビジネスが出たかもしれない。

 しかし金子氏が逮捕されてから無罪が確定するまでの7年間に、日本のP2P技術は壊滅し、Winnyの改良も禁止されたためウイルスが蔓延した。その後、著作権法の改正で検索などに使うキャッシュは合法とされたが、すでに日本から検索エンジンは姿を消していた。スカイプはマイクロソフトに85億ドルで買収されたが、金子氏は職を失い、最近やっと東大の特任講師に復職したばかりだった。

 日本でも著作権団体の政治力が強いため、著作権法の運用はきびしくなる一方だ。TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉では、政府はアメリカに同調して著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年に延長する方針とも伝えられているが、これは逆である。世界的には、著作権の過剰保護でイノベーションが阻害されているという反省も強い。日本はユーザーの自由を守るために著作権法を緩和する方向で交渉すべきだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

テマセク、運用資産が過去最高 米国リスクは峠越えた

ワールド

マレーシア、対米関税交渉で「レッドライン」は越えず

ビジネス

工作機械受注、6月は0.5%減、9カ月ぶりマイナス

ビジネス

米製薬メルク、英ベローナ買収で合意間近 100億ド
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 4
    「ヒラリーに似すぎ」なトランプ像...ディズニー・ワ…
  • 5
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 6
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 7
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 8
    自由都市・香港から抗議の声が消えた...入港した中国…
  • 9
    人種から体型、言語まで...実は『ハリー・ポッター』…
  • 10
    「けしからん」の応酬が参政党躍進の主因に? 既成…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 3
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸せ映像に「それどころじゃない光景」が映り込んでしまう
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 6
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 7
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 10
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 5
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 6
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 7
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story