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ベトナムと日本人

ヨシヒロミウラ|ベトナム

コクヨがベトナムのボールペン会社を子会社化ーー国民的会社買収から考える「ローカライズの作法」

ペンスタンドに入っているボールペンは全てティエン ロンのものだ。同じオフィスで働く新卒入社女子社員のペンスタンドです。撮影:ヨシヒロミウラ

M&Aのニュースを聞いてまず思い浮かぶ、ベトナムの日常

コクヨがベトナムの文具メーカー・Thiên Long(ティエン ロン)を段階的に取得し、最終的に過半を握る計画を発表した。完了は2026年頃とされる。

ビジネスとしてはよくあるM&Aに見えるが、ベトナムでティエン ロンと聞くと、数字より先に生活の風景が浮かぶ。ティエン ロンとは誰もが使うベトナムの国民的ボールペンを製造する会社で、このボールペンは特別なブランドというより「日常の道具」だ。

ティエン ロンは「推されるブランド」というより、「生活の道具」

学校の机。文具売り場の一番目立つ場所。家庭の引き出し。職場でもそうだ。それぞれのデスク、会議室、受付、レジ前。誰が買ったか知らないが、手を伸ばせばそこにある。一本が書けなくなれば、別の一本が現れる。広告で好きになった製品というより、空気のように生活に馴染んだ存在だ。

コクヨの買収が呼び起こすのは「寂しさ」と「期待」

だからこの買収の報せには、ベトナム人には少しざわりとした感情を呼び起こす。「変わってしまうのでは」という不安と、「うまく育ててほしい」という期待。その両方がある。ティエン ロンは、学生時代に黒板をノートに書き写した感触や、仕事で走り書きした文字の記憶とが結びついている。国民ブランドの価値はスペックで説明される強さではなく、体験の積み重ねで成立している。

ローカライズはまず「変えないこと」から始まる

この視点を持つと、ローカライズの議論も少し違った形になる。海外展開でよく語られる「現地に合わせて変える」が、すぐ最適解になるとは限らない。まず守るべきは、生活者が「変わらないでほしい」と思っている部分だ。書き味、価格帯、どこでも買える安心感。プロダクトの"核"は触りすぎない方がいい。

変えるのは「周辺の体験」、プロダクトそのものではない

変えるべきは、周辺の体験だと思う。売り場での見え方や、セット提案、オフィスや学校での導線、商品説明の言葉。生活の流れの中でどう使われるかを、現地とともに編集していく。この「ともに」が重要だ。

ローカライズの鍵は「調整」ではなく「共創」だ

ローカライズの鍵は共創だと感じる。市場調査ではなく、現場の声と一緒に考える。先生、保護者、販売店、総務担当、学生。彼らの感覚が商品づくりに混ざったとき、買収は「外国企業が買った話」から、「生活者と一緒に育てる物語」に変わる。

数字の背後にある「記憶と手触り」を受け継ぐということ

ティエン ロンは、すでにベトナムの暮らしの中に根を張っている。今回の買収が、その根を切る方向ではなく、より太く育てる方向に働くかどうか。それを決めるのは、変える技術ではなく、受け継ぐ姿勢だと思う。

数字の背後には、市井の記憶と手触りがある。そこを見誤らなければ、このM&Aは静かに、しかし確かな成長になるだろう。これからコクヨとティエン ロンが共に紡いでいく物語に期待したい。

 

Profile

著者プロフィール
ヨシヒロミウラ

ベトナム在住。北海道出身。武蔵大学経済学部経営学科卒業。専攻はマーケティング。2017年に国際交流基金日本語パートナーズとしてハノイに派遣。ベトナムの人々と文化に魅了され現在まで在住。現在進行形のベトナム事情を執筆。日本製品輸入商社と人材紹介会社に勤務。個人ブログ: ベトナムとカンボジアと日本人 X: @ihiro_x Threads: ihiro_x

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