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中国航海士・笈川幸司

笈川幸司|中国

いまをときめく清華大学×北京大学と妙法について

中国に来て、日本語教師の仕事をするようになったのはちょうど20年前の7月のことです。日本では、お笑い芸人になることを夢見ていましたが、夢を捨てて中国にやって来たので、当時は失望感が溢れ、何をやってもつまらないと感じ、いっそのこと、持っている価値観、物事を戦略的に考えるやり方を全てやめることにしました。自虐的に、「コツコツやってうまく行かない奴」を演じる人生にしようと決めたのです。

最初、民間の私立短期大学(世間では専門学校扱い)で2ヶ月ほど授業をしていましたが、急に清華大学の授業見学をすることが決まりました。あるおじいさんが、わたしの授業をちょっと見た後、清華大学にいる知り合いに連絡したためでした。すでに退官された清華大学の教授の先生からつい数年前に聞いた話ですが、その時、わたしが清華大学の教師になることがすでに決まっていたそうです。「学歴は学士しかないが、まあ良いか」というゆるい時代も背中を押してくれました。そして、「コツコツやってうまく行かない奴」だったからこそ、当時、清華大学でうまくできたのではないかと思っています。

売れている芸人が、私生活ではどうしようもない芸人とつるんでいるケースが多いように、当時、才能に溢れた優秀な学生たちは、できの悪いわたしと一緒にいると居心地が良かったのかもしれません。優秀な学生ばかりがわたしを取り囲むようになりました。とにかく、彼らは何でも話してくれました。それこそ、今では都市伝説と呼ばれるような奇妙な話もあれば、どうすれば出世できてお金が稼げるのかといった下世話な類の話も含め、学生たちとは、ほとんど隠し事ナシ、べったりした関係でした。その中で、わたしの興味を引いたのは彼らの独特な学習方法でした。すぐにきれいな発音が出せる学生から発音の秘訣を教えてもらい、試験に強い学生からは試験対策の秘訣を教えてもらいました。学生が雄弁に語り、教師のわたしが懸命にメモを取る姿は、それを見た人の目には滑稽に映ったかもしれません。

毎年数回スピーチ大会が行われていたので、わたしはその度に清華大学ナンバー1の学生から勉強の秘訣を聞くチャンスに恵まれました。これは、もともと勉強に興味がなく、三流大学出身の自分からすると、宇宙開発くらい自分とかけ離れた世界の話でしたが、学生と共にする時間が増えるにしたがって、もし自分も若い頃、彼らが使っている学習方法を知っていたなら、勉強自体が面白くなって、一流大学に入れたんじゃないか?と思えるようになりました。つまり、清華大学で過ごした最初の4年間で、勉強に興味を持ち始めたというわけです。

清華大学での一連の業績、と言っても、全ては学生のコンテストや試験などの成績なのですが、それを評価してくださった北京大学の主任からお声がけいただき、その後、北京大学に移りました。

北京大学に移ってからは、さらにとんがった学生たちを相手にすることになりました。それは、清華大学の学生の比ではなく、才能が溢れすぎて、自分でコントロールできないような学生が倍くらいいました。とにかくエネルギー溢れる北京大学の学生たちの力で、とんでもないことが起きるということも実感できました。

日本語教師になって六年目の2006年、北京大学の学生を中心に、北京で日本語を学ぶ大学生を集め、毎月イベントを行うようになりました。その頃、清華大学と北京大学の学生たちから聞いた学習方法を使って、北京市の他の学生に指導して、一定の成果をおさめることができました。ただ、そうは言っても、北京市の他の普通の大学も、全国的に見れば全て超一流大学なので、わたしにいくら手応えがあったとしても、「それは学生の能力が高いからに他ならない」という、ほかの日本語教師からの反論に応戦できませんでした。

日本語教師会で実践報告をすると批判の的となりました。

その頃、実践報告をしたことがあります。今でこそ、メディアを通して広められた「中国語の軽声を使った日本語発音指導」は、当時「日本語は高低アクセントだから、絶対に軽声はありません!」とおっしゃる先生もいて、楽譜についても、口の開け方についても、フィードバックは批判的なものばかりでした。

「学術の世界は、何を話すかではなく、誰が話すかが大事です」

テレビ局や新聞社の記者さんが北京大学、清華大学に派遣され、語学留学をするケールがあり、わたしの授業やコンテストの審査員をしていただくなど、様々なサポートをしてくださっていました。その中の一人が、「学術の世界は、何を話すかではなく、誰が話すかが大事ですから、笈川さんの場合、まずは大学院へ通い、博士号を取得し、大学で助士、講師、准教授をつとめ、教授になって、はじめて今の指導方法が評価されるようになるでしょう。今から何十年も先のことになります。でも、笈川さんがそれをしていたら、今のように多くの学生たちのサポートができなくなりますね。今、わたしは留学生の身分だから記事を書くことができませんが、帰国したら、必ず笈川さんのことを記事にして、その指導方法を世間に広めます。他の記者も同じ考えだと思います」とおっしゃいました。

いま思うと、論文発表でなく、メディアの力によって、少し独特な日本語発音・発話の指導方法が世間に知れ渡りましたので、確かにその方のおっしゃる通りでした。しかし、当時その方の話を聞いても、その日がやってくるのをただただ待っていてはいけないと思いました。

2009年、わたしはそれまで積み上げてきたノウハウをまとめ、一冊の日本語教材にしました。その後、その本のおかげで、中国各地の学生たちから連絡がもらえるようになりました。北はハルピン、南は海南島、東は上海から西は新疆ウイグルまで、電話でスピーチ指導をするようになりました。電話指導が続けられたのは、「あなたの指導法が良いのではなく、その学生の能力が高いからに他ならない」と言う反論に応戦するチャンスが来たと思ったからです。ただ、誤解されてしまってはいけないので説明を加えますが、それは決して自分の力を認めさせたいと言うようなものではなく、わたしの方法かどうかは関係なく、清華大学、北京大学No.1の学生たちから得たノウハウを中国各地の学生たちに合う方法に改良し、トライアンドエラーを繰り返すことによって得たスキルと経験が、これからの学生の学習のサポートになると思ったのです。

2011年、「日本語学習方法」をテーマに、中国各地へ無償講演をする旅に出ることになりました。ちょうどその旅の出発直前、あるおじさんと出会いました。

今日のテーマは、ここから始まります。

その方は、その講演会の旅を、「妙法」という言葉で表しました。

わたしは意味がわからず、どういうことか聞いてみました。

「あなたは、社会のために汗を流すことができる人だから、ほかの人が時間をかけてやっとたどり着く山の頂上に、空を飛ぶように一気に辿り着くでしょう」というのが彼の回答でした。

彼はあることを例にしてわかりやすく話してくれました。

「浮世絵を世界に広める方がいます。その方は、世界各国のリーダーに浮世絵をプレゼントしています。どうやって世界のリーダーと知り合えるでしょうか。彼は、各国の大使館へ行き、日本と友好関係を強化するという目的で浮世絵をプレゼントするのです。そうすることで、世界各国のリーダーと知り合うことができるのです」

「各国の大使は浮世絵を受け取ってくれますか?」

「クオリティの高い浮世絵を選び、喜んで受け取ってくれます。大使が自分の国の大統領にその話をしたら、大統領に会って、浮世絵をプレゼントすることもできます。これも妙法です。普通に生きていたら絶対に知り合うことのできない人と知り合うことができるのです」

「なんだか、わたしのやっていることややりたいこととは違うように思いますが」

「いえ、笈川さんのやっていることとやりたいことも妙法です」

わたしは、話をずらそうとして、こんなことを聞いてみました。

「でも、高い浮世絵をプレゼントしたら、お金がなくなってしまいますよね」

「では、一つ例を挙げましょう。世界に3枚しかない浮世絵があったとします。1枚10万円の浮世絵、3枚でいくらになるでしょうか」

「1枚10万円なら3枚で30万円です」

「普通はそうなります」

「普通は?どういうことですか?」

「例えば、3枚のうち1枚をアメリカの大統領に、1枚をプーチン大統領にプレゼントしたとします。わたしが所有する浮世絵は10万円でしょうか」

「わかりません...」

そのおじさんは、以上のような話をした後、

「笈川さん、あなたの事業は体力的にも精神的にも大変かもしれませんが長く続けてください。最初はあれこれいう人が出てくるでしょう。でも、そんなことは気にせず、自分がやっていること、やりたいことに誇りを持って、まっすぐやり続けてください。きっと5年後には、世間の目が変わるでしょう。10年後には1つの形になるでしょう」と言って、その場を去りました。

そのおじさんは占い師ではないと思うのですが、確かに、その後、世間の目が少しずつ変わって来たのを感じます。

留学経験のある記者さんがその後、新聞記事のサポートをしてくれました。

反日デモの真っ只中、前に進むことができない状況でも、不思議と前に進むことしか考えませんでした。「日本語学習で困っている学生を助けたい」というぼんやりした目的を果たすイメージを描くと、不思議と未来が開けてくるのです。当時、どんなにひどい状況でも、「今はなかなか記事にできないけど、日中関係が好転したらすぐに記事にしますよ!」と励ましてくださる記者さんもいました。日中関係が敏感な時期に取材してくださったテレビ局の方もいました。番組を見て、「中国と仲良くすると世間からあれこれ嫌なことを言われるのを覚悟でやっているのだから、中国のことが嫌いだとか言って、文句しか言わない自分より、ずっと立派だよ。頑張れ!」などと言った声をたくさんもらえたのは、正直嬉しかったです。

国際的な力関係で中国の存在感が増してくると、日本語教育関係の方々が、わたしの指導法に興味を示してくださるようになりました。「テレビ、見ましたよ」「記事、読みましたよ」などと言って、学術の世界でも手を差し伸べてくださる方が現れるようになりました。

発音や発話指導の方法については、論文発表とは違う形で世間に認めていただけるようになりました。これは、自分が偶然手にした宝物ですが、世界中の学生をサポートできるのも、教室で困っている先生方にマスターしていただけるようになったのも、すべて、ずっと前から応援してくださっていたメディアの方々のおかげです。もちろん、世界のどこへ行っても自分の小ささを実感しますが、宝物に関しては、メディアのみなさんが宣伝代わりに世間に広めてくださったために、世界各地で舞台を用意していただけるようになり、その結果、世界のどんなところでもある程度通用することがわかりました。先日、日本語教師養成講座の中で、「どうやって綱渡りの人生を歩んで来られたのか、お聞きしたい」といった質問がありましたので、以前どこにも書いたことのない内容だけを選んで、今回書かせていただきました。

最後にまとめます。

今、日本語教師養成講座などでテーマにしている「発音・発話指導法」では、清華大学、北京大学No.1の学生たちから得たノウハウを、中国各地の学生たちに合う方法に改良し、トライアンドエラーを繰り返すことによって築いたスキルと経験を用いています。以前からやっていたこと、やりたいと思っていた当時の想いが叶い、今は中国だけでなく、韓国、インド、東南アジアを中心に、世界中の大学生に同じやり方で指導しています。

また、「日本語の学習で困っている学生を助けたい!」という思いから中国各地を巡る旅に出ましたが、その後、世界各地を巡る旅へと発展しました。そして、「日本語を教えることで悩み苦しみ、困り切っている日本語教師を助けたい!」という気持ちが芽生え始め、その結果、日本語教師養成講座などを担当させていただいてます。

妙法という言葉を聞くと、なんだか怪しく、いかがわしい感じがするので、本当に嫌なのですが、あのおじさんが語った未来は、確かに体験することができました。

この経験が全ての人に役立つ情報になるとは思いませんが、学術の世界で一歩一歩出世していくしか道がないと考えていた方にとって、「こんなやり方もありなのか」と思っていただけたら幸いです。

そして、最後の最後になりますが、人間は誰しも発展途上にいるので、たとえいまが良くても、次の瞬間に落ちぶれてしまうかもしれません。そして、すでに落ちぶれてしまったとしても、そのまま一生落ちぶれたままだとは限りません。わがままに生きてうまくいかない人は、世のため人のために尽くせばよいと思いますし、わがままに生きてうまくいく人は、わざわざ世のため人のために生きていく必要はないと思っています。とにかく、自分に合う道は必ずある。これだけは間違いないと思います。

 

Profile

著者プロフィール
笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。中国滞在20年目。北京大学・清華大学両校で10年間教鞭をとった後、中国110都市396校で「日本語学習方法」をテーマに講演会を行う(日本語講演マラソン)。現在は浙江省杭州に住み、日本で就職を希望する世界中の大学生や日本語スキル向上を目指す日本語教師向けにオンライン授業を行っている。目指すは「桃李満天下」。

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