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ラッシャー貴子|イギリス

エリザベス女王の葬儀を終えたロンドンから

訃報の翌日、街じゅうの電光掲示に一斉に現れた女王の写真。のんびりしているこの国にしては驚くほどの早技だっただけに、悲しい光景だった。女王ご逝去のニュースを追っていて、報道ではdeath of the Queen(女王の死)と意外なくらい直接的な表現が使われることに気がついた。passing(亡くなること)やsad news(悲しい知らせ)という口語的な表現も聞いたけれど、日本語の「崩御」にあたる言葉はないようだ。長い英国王室の歴史の上では儀式に使われる特殊な言葉も多いし、間接的にものを言う人たちなのに、おもしろいなと思ったことでした。筆者撮影

 9月8日、エリザベス女王が96歳で亡くなった。

 亡くなったスコットランドやロンドンでのさまざまな行事の後、19日に立派な葬儀が行われ、周りはやっと日常に戻りつつある。

 女王の訃報はわりと突然に訪れた。即位70年、プラチナジュビリーのお祝いをした時(ほんの3か月前!)から体調がよくないとは聞いていたけれど、お姿は何度か見かけていたし、体調は詳しく報じられなかった。それに、亡くなるたった2日前にはリズ・トラス新首相を任命したばかりだったのだ。その日に公開された写真の女王は、さすがに元気はつらつには見えなかったけれど、微笑んでいた。

 健康が著しく心配されると報じられたのも亡くなった当日の昼過ぎのことで、午後はテレビも特別番組に切り替わった。司会者がすでに黒ネクタイを締めていたので緊張が伝わり、落ち着かない午後を過ごした。そして午後6時30分、訃報が伝えられた。

BBCニュースジャパンのTwitter投稿より、午後6時30分に正式に伝えられたテレビでの訃報(日本語字幕付き)。午後はずっとテレビやネットにかじりついていたけれど、夫が楽しみにしていた陸上競技の中継が始まったので、それを見ていたら、突然この白黒の画面に切り替わった。すぐに、女王が亡くなったのだとわかった。訃報を伝えたヒュー・エドワーズさんの震えた声から緊張が伝わった。

 エリザベス女王の70年という在位期間は英国史上最長、世界でも第2位だ。その名前は世界に知れ渡っていたし、英連邦に加盟する56か国も率いていたので、女王の逝去を嘆く声は世界中で聞かれた。国営放送BBCによると、世界の人口の94%は女王の即位後に生まれたそうだから、ほとんどの人にとってはエリザベス女王は「生まれた時からずっと女王」だった。訃報を受けて、「(人はいつか亡くなると)頭ではわかっていても、エリザベス女王は一生そこにいてくれる気がしていた」と話した人がなんと多かったことか。わたしもそう感じていた。英国がまだ戦後復興期にあった1952年に即位した女王は「英国の礎」「国の錨」とも形容されたし、「自分の母親/おばあちゃんのように思っていた」「自分のアイデンティティーの一部を失ってしまったよう」という声もよく聞いた。

 もちろん、植民地時代の歴史などもあって、女王はすべての人から愛されていたわけではない。ただ、そういう人たちの間でも、強い義務感で公務に尽くしたエリザベス女王は一目置かれていたように思う。先日も、君主制絶対反対の友人が「女王が亡くなって動揺している」と言ったので驚いてしまった。君主制に反対でも、女王個人には好意を持っていたそうだ。特に高齢になってからの女王は、お茶目なおばあちゃんとしても世界で人気が高まっていた(最後に動画付きの記事をご紹介します)。

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女王が亡くなった翌日の新聞の売り場。もちろんどの新聞も女王のことばかり。この写真は午前中に撮ったのだけど、夕方に同じ場所を通りかかったら、新聞は一部のこらず売り切れていた。この売り場で新聞が完売するなんて、この10年間、一度も見たことがない。インターネット時代でも、印刷したものを手元に残したいという気持ちの表れなのかな。筆者撮影

 亡くなってから葬儀までの10日間は国をあげた服喪期間になった。報道番組ではもちろん、メディア出演者のほとんどが喪服を身につけ、女王の人生を振り返る特別番組、特別記事が続いた。女王の棺が移動するたびに、複数のチャンネルで生中継が行われた。儀式だけでなく、スコットランドの田舎道をひたすら霊柩車が走るだけでもだ。どこに行っても、沿道には女王にお別れをする市民が集まった。

 服喪中、学校や仕事、店、レストランなどは基本的に通常どおりだったけれど、王室御用達の店を中心に、自主的に休業したところもあった。営業していても店頭に黒幕、白い花、女王の写真、お悔やみの言葉を出したところや、ウェブサイトやメーリングリストでお悔やみのメッセージを発信した企業も多く、大使館やホテルなどに掲げられた旗は半旗になった。

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亡くなった翌日のピカデリー地区の様子。写真左側の老舗書店ハチャード(半旗を掲げた店)はこの日は休業。黒いカーテンと白い花が飾られていた。右側は日本でもおなじみの食料品店、フォートナム&メイソン。営業はしていたものの、ショーウィンドウに黒い板が貼られ、「女王陛下の喪中につきディスプレイを覆います」というメッセージが出ていた。筆者撮影

Profile

著者プロフィール
ラッシャー貴子

ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。

ブログ:ロンドン 2人暮らし

Twitter:@lonlonsmile

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