コラム

スキャンダルで問い直されるノーベル文学賞の真の価値

2018年05月09日(水)17時00分

昨年10月にノーベル文学賞の受賞者を発表したスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長(当時) Claudio Bresciani/TT News Agency/REUTERS 

<選考委員の夫のセクハラ・性的暴行スキャンダルで今年は見送りが決まったノーベル文学賞。だがそもそも、それ程の価値がこの賞にあるのか?>

5月4日、スウェーデン・アカデミーが今年のノーベル文学賞受賞者発表を見送ることを発表した。

元々の原因は、昨年から問題になっていたセクシャルハラスメントと性的暴行のスキャンダルだった。だが、告発された加害者はノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの会員ではない。会員の夫である。

女性18人からセクハラあるいは性的暴行を告発されたのは、アカデミー会員のカタリーナ・フロステンソンの夫、ジャン・クロード・アルノーだ。

フロステンソンとアルノー夫婦は、アカデミーが資金提供している「フォーラム」という権威ある文化クラブを運営していた。セクハラあるいは性的暴行を受けたと訴えた女性たちは、「フォーラム」を通してアルノーと知り合ったのだった。

アカデミーの事務局長だったサラ・ダニウスは、このスキャンダルが明るみに出てすぐにフォーラムとの関係を絶ち、弁護士事務所を雇ってアカデミーとフォーラムとの関係を調査した。そこで浮上してきたのが、アルノーがノーベル文学賞受賞者の名前を漏洩していたという疑惑だった。すると、会員である妻のフロステンソンから情報が出た疑いが強いということになる。

アカデミーの会員の中からフロステンソンの辞任を要求する声があがったが、フロステンソンが拒否したために会員の投票が行われた。その結果、8対6(フロステンソンは投票していない)で辞任要求が否決され、3人が抗議のために辞任した。

続けてスキャンダルを泥沼化させた指導者に責任を求める声が上がり、きっかけになったセクハラ事件には無関係のダニウスも辞任に追い込まれた。ダニウスは、スウェーデン・アカデミーで初めての女性事務局長であり、2015年に就任したばかりだった。ダニウスは、アカデミーの古い体質を改善しようとする急進派だったと言われる。

ダニウスの辞任に対し、「セクハラの問題を起こしたのは男なのに、なぜ女が責任を取らせられるのか?」と憤った女性がアカデミーの本部前に何千人も集まり抗議デモを行った。

スウェーデン・アカデミーの会員は18人で、生存中は辞任できない終身会員である。死亡で欠員ができたら、残りの会員が投票で新しい会員を決めることになっている。

しかし、このスキャンダルの前から2人は名前だけの会員で活動はしておらず、ダニウスに引き続きフロステンソンも辞任し、現在活動できる会員は11人に激減してしまった。多数決で決議するためには最低12人が必要だという規則があるので、この状況では、ノーベル文学賞の受賞者を選ぶのは困難だ。たとえ選んでも後に受賞者の正当性が問題になる可能性がある。そういった状況でのノーベル文学賞受賞者発表の見送りだった。

辞められない終身会員の辞任による会員不足という危機に対し、スウェーデンのカール16世グスタフ国王はアカデミーの終身会員についての規則を変えることを考慮しているという。

また、このスキャンダルをきっかけに、以前から存在した「ノーベル文学賞はそれほどの価値があるものなのか?」という疑問がふたたび浮上している。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア、イラン・イスラエル仲介用意 ウラン保管も=

ワールド

イラン核施設、新たな被害なし IAEA事務局長が報

ビジネス

インド貿易赤字、5月は縮小 輸入が減少

ワールド

イラン、NPT脱退法案を国会で準備中 決定はまだ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 6
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 9
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story