コラム

地方病を撲滅し医学が勝利した栄光の地、甲府盆地西部を歩く

2019年11月21日(木)17時30分

◆「ノーベル賞の湯」を目指して

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この地方独特の丸石の道祖神。絡んだ蔦が黄色く色づいていた

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スクラップ工場の先に霞む八ヶ岳

釜無川の支流を渡ると、甲府盆地西端の韮崎市である。この地方独特の丸石の道祖神に絡む色づいた蔦や、夕焼けの中に霞むスクラップ工場の先の八ヶ岳を見ながら、すっかり日が短くなった秋の夕暮れを実感する。

さて、この韮崎市、近年はある地域の偉人の顕彰に湧いている。その人物とは、2015年ノーベル生理学賞・医学賞受賞者の大村智博士だ。駅前商業施設を改装して開館した新しい市立図書館は「大村記念図書館」と名付けられているし、中学生時代の大村博士が通学路として親しんでいた川沿いの道は受賞記念の「幸福の小径」として整備され、受賞記念ワイン、クッキーといった土産物もある。

大村博士の生家は、韮崎駅から見て釜無川の対岸の山あいにある旧神山村地域にあり、ちょうど「幸福の小径」が市中心部と旧神山村を結ぶ形になっている。大村博士は国際的な功績がありながら郷土愛がとても強い人で、生家近くには自身がオーナーである「韮崎大村美術館」と日帰り温泉施設「白山温泉」がある。僕は白山温泉を勝手に「ノーベル賞の湯」と呼んでいて、以前にも実際に入ったことがあるのだが、庶民的な佇まいとセンスの良さが同居したとても感じのいい施設である。女性作家の絵画や民藝運動を伝える陶磁器作品を集めた美術館は、真にリベラルな考えを持つ大村博士の哲学に溢れる。共に「地域住民に貢献したい」という思いで、あえて立地条件が良いとは言えない地元に建てたとのこと。そんな温泉でゆったりと過ごす地元のお年寄りたちの様子を見ていると、少々感動的ですらある。

◆「歴史を学び、それを基にして未来を見つめる」

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韮崎大村美術館

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大村博士が地域住民のために建てた「白山温泉」

大村美術館と隣接する白山温泉に着いたのは、歩き初めてから6時間半、時刻は18時過ぎであった。空はすでに真っ暗になっていた。美術館の開館時間は過ぎていたが、大村博士ゆかりの地に足を運べたことに僕は満足だ。というのも、今回の旅の前半のテーマである「地方病との戦い」と、大村博士の功績は決して無関係ではないと思うからだ。

大村博士のノーベル賞授賞理由となった主な功績は、抗寄生虫薬として活用されているイベルメクチンなどの新薬の発見・開発である。独創的な手法による微生物が生産する有用な天然有機化合物の研究の中から生まれたイベルメクチンは、熱帯地方の風土病であるオンコセルカ症(河川盲目症)及びリンパ系フィラリア症に極めて高い効果があり、中南米・アフリカで毎年2億人余りの人々に投与されている。さらに、これまで治療が難しかった疥癬(かいせん)症にも効果を発揮し、合計で年間5億人余りの寄生虫病治療に貢献しているという。

寄生虫治療に世界的な功績を持つ人物が、世界で唯一住血吸虫症を撲滅した地域で生まれ育ったという事実は、単なる偶然だろうか?大村博士が直接甲府盆地の地方病撲滅活動に関わった事実はないが、本人も「韮崎の農村生活での生育歴が、学問や研究への基本姿勢を形成した」と語るように、愛する郷土の寄生虫病との戦いの歴史が、大村博士の心の中にも脈々と受け継がれているのは間違いないだろう。

中学生時代の大村少年は、通学路にしていた「幸福の小径」から南アルプスや八ヶ岳が見下ろす美しい自然を見ながら、科学者になる夢を抱き、己の理想を育んでいった。その「幸福の小径」の碑文には、大村博士の「人生心得七か条」が書かれていた。

1 歴史を学び、それを基にして未来を見つめる。
1 何事も人のまねをしない。
1 自分が、世の中の人々の為に何ができるかを優先し厭わず行動する。
1 役目についた折には、自身の能力をもって、全力を尽くす。
1 リーダーとなった時は、「君主は器ならず」と考え、そこに集まる人々の個性を最大限に引き出す。
1 「一期一会」と「恕」の心を大切にする。
1 佳き人生は、日々の丹精にある。

これらの言葉を反芻しながら、僕は「幸福の小径」を通って、韮崎駅へと向かった。

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大村博士の出身地に立つ「ノーベル村一期一会」の立て看板

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「幸福の小径」の入口に立つ大村博士の銅像

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大村博士の「人生の心得七か条」

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今回歩いたコース:YAMAP活動日記

今回の行程:昭和町風土伝承館・杉浦醫院 → 韮崎大村美術館 → 韮崎駅(https://yamap.com/activities/4926053)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=18.5km
・歩行時間=7時間44分
・上り/下り=339m/244m

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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