最新記事
映画

分断と戦争の時代の今こそ観るべき『ぼくたちの哲学教室』 子供たちが教えてくれる、「憎しみの連鎖」の乗り越え方

YOUNG PLATOS

2023年5月27日(土)17時40分
小暮聡子(本誌記者)

マカリーヴィー校長は子供たちのどんな意見も尊重し、予想外の答えを楽しみながら対話する ©SOILSIÚ FILMS, AISLING PRODUCTIONS, CLIN D’OEIL FILMS, ZADIG PRODUCTIONS, MMXXI

<北アイルランド紛争の記憶と分断が残るベルファストの小学校で、哲学の授業を通して対話をうながす名物校長の大いなる挑戦を描いたドキュメンタリー>

「他人に怒りをぶつけてもいいか?」――舞台は英領北アイルランドの都市ベルファストにある、ホーリークロス男子小学校。校長のケヴィン・マカリーヴィーがそう問いかけると、子供たちは手を挙げ、「賛成」「反対」の意見を次々と出していく。この、校長自ら行う「哲学教室」に密着したドキュメンタリー『ぼくたちの哲学教室』が、5月27日から全国で順次公開中だ。

ホーリークロス男子小学校がある地域は、かつて北アイルランド紛争の「戦場」だった。1960年代後半から、アイルランドとの統一を求めるカトリックとイギリスへの帰属維持を望むプロテスタントの間で対立が激化。テロや英軍の弾圧で約3500人の死者を出した紛争は、98年の和平合意後も人々の心や街並みに癒えない傷を残している。

カトリック系のこの小学校の周囲には、今も「平和の壁」と言われる分離壁がそびえ立つ。この一帯には紛争終結後も政府による支援が届かず、貧困や犯罪、薬物が蔓延。青少年の自殺も後を絶たない。

映画は、小学校で突如、非常ベルが鳴り響くシーンを映し出す。学校の校門に、南北アイルランドの統一を掲げるリパブリカン派が爆弾を仕掛けたからだ。避難する子供たちの表情には不安がにじむ。自身も暴力と隣り合わせで育ったというマカリーヴィーが、不穏な日常から子供たちを救う手だてとして考案したのが、哲学の授業だった。

4月に来日した彼は、「子供たちには、私のときとは違う体験をさせたかった」と語る。紛争下で育った自分は、青少年期に怒りをコントロールできずにいた。どうすれば暗闇から抜け出せるか、考えることを教えてくれる大人もいなかった。だが、「暴力は暴力しか生まない」。

戦争が続く今だから

冒頭の問いかけに、子供たちからは「やり返さなければやられるだけ」という意見もあれば、「殴らずに仲直りする」という声もある。どんな意見も、授業では決して否定しない。「なぜそう考えるのか?」と問いを重ねながら、自分の頭で思考させていく。

ある日の授業で、児童が「2つは全く違う人種だ。カトリックはアイルランド人で、プロテスタントはイギリス人。どっちも違う国だし言葉も違う」と発言するシーンがある。マカリーヴィーは、「つまり政治や宗教、文化が違えば、一つにはなれない?」と問う。

すると別の児童が言う。「みんな同じ一つの家族だ。このクラスの誰に聞いてもおばさんとか親戚の中に絶対プロテスタントがいると思う」──。

この地域では、大人も紛争の記憶のトラウマを抱えている。自分の子供に、やられたらやり返せと教える親もいる。でも、本当にそれでいいの? マカリーヴィーは子供たちに向き合い、「疑問に思え。でも、と問い返せ」と諭す。

報道によれば、いまウクライナではロシアに対して憎しみを持つ子供が多い。暴力は次世代に連鎖する。マカリーヴィーと共に来日したナーサ・ニ・キアナン監督は、分断の時代に哲学が持つ意味をこう語った。「重要なのは相手を知ろうとすることだ。ロシアの子供もウクライナの子供も、疑問を持ち、問いかけることが必要だ」。

壁を越えるための一歩は、思考し、相手を知ろうとすることから始まる。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌…
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 7
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中