香港で「超人」と呼ばれる大富豪、習近平との「長く特殊な関係」
伝説の成功者
1993年に習近平氏が香港を訪問した後、李氏は当時習氏が首長となっていた福州市を訪問し、著名人として歓待を受けた。大富豪であった李氏は福州市の再開発プロジェクトに関与し、地元メディアの報道によれば、習氏と共に起工式に参加して礎石を据えたとされている。
その当時、李氏は中国において並外れた影響力を持っていた。香港返還から約2カ月後の1997年9月、中国は過去最大の株式公開を間近に控えていた。香港とニューヨークでの上場を準備していた国営電気通信企業、中国電信である。
だがぎりぎりになって、同社の上場を支援していた香港の有力者グループが、域内を混乱に陥れていた金融危機のために怖じ気づいてしまった。彼らは、1年間の株式保有を義務づける協定について再交渉を求め、さもなければ完全に手を引くと主張した。株式公開まで、わずか数週間しか残されていなかった。
李氏は中国の官僚、銀行関係者を香港の自分のオフィスに招いた。同席した銀行関係者によれば、彼は「契約書にはすでにサインしており、それを遵守する」と話したという。この銀行関係者によれば、李氏はさらに、必要とあらばもっと多くの株式を購入すると申し出たという。
李氏は、その後、膨大な数の中国国有企業が上場によって数十億ドルを調達する先例となった中国電信の株式公開を救うことになった。トレードマークの大きな黒縁の眼鏡とともに、李氏が伝説的な香港ビジネスマンとなった瞬間と言えよう。
中国本土と香港への投資を縮小
習氏が実権を握ってから、中国政府は香港に対する強硬な方針を採用した。中国政府は2014年の白書において、香港が現在享受している自治は自明のものではなく、中央指導部の許可により条件付きで与えられたものだと述べている。そして李氏自身にも、中国国営メディアからの批判が降りかかるようになった。
2014年末から2015年初頭にかけて、李氏は香港で登記していたハチソン・ワンポアともう1社を、ケイマン諸島で設立した企業に統合した。李氏を中心とする経営陣は、この改革は、「合理化・事業継承計画の一環」であると話している。