最新記事

韓国

韓国の埋もれた歴史「在日同胞留学生スパイ事件」が、いま掘り起こされる

2019年1月16日(水)17時00分
碓氷連太郎


情報機関は日本を経由する「迂回浸透」の可能性に目を付けた。それで在日韓国人留学生のなかにスパイがうようよしているという前提のもと、留学生名簿のなかから的を絞って対象者を作り出しては、「作戦」に入っていった。在日韓国人留学生は、水槽に閉じ込められ吊り上げられるのを待つような存在に過ぎなかった。

そしてでっち上げを支えた人物は、日本側にもいた。金孝淳氏はその一人として、在日韓国人だった梁元錫(ヤン・ウォンソク)・柳川組初代組長の名を挙げている。

1923年に釜山で生まれ1930年に家族とともに日本にやってきた梁元組長は、戦後の混乱期を生き抜くために暴力団に身を置いた。1969年に柳川組を解散してからは日韓対決のプロレス興行などを手掛ける一方で、韓国の政治家との交友を温めていった。

同時に、反共を前提にしたアジアの連帯を目指す「亜細亜民族同盟」という団体を率いた。金大中が逮捕された際は「金大中の左翼及び容共活動経歴」などと書いた怪文書をばらまき、全斗煥については「正義のかたまりや」と評していたそうだ。そして渡韓した際は保安司令部に出入りして、情報交換をしていたという。


 梁元錫とその手下は保安司令部の依頼を受けて「容疑者」となった留学生の家族関係、留学前の日本での大学生活や社会活動、総連系同胞との接触の有無などに関する情報を収集し報告した。時には独自に収集した対共関連容疑の情報を渡すこともあった。こうして提供された情報や資料は、スパイ容疑で裁判にかけられた留学生の有罪を立証する重要な証拠として利用された。

捕らえられた彼らに対し、韓国社会は冷淡だった。メディアは情報機関から次々と発表される内容をそのまま繰り返すにとどまり、現地での公判過程を取材した日本人記者の記録によると、裁判所で韓国メディアの姿を見ることはなかったそうだ。

彼らは獄中でも韓国の「民主人士」と切り離され、孤立していた。事件について本格的に聞き取り、まとめた書籍が韓国内で出版されたのは、これが初だという。

長らく振り返ることすらされてこなかったが、盧武鉉政権(2003~2008年)時に始まった独裁政権下の真相究明作業により再審が決定し、死刑判決や無期懲役を受けた者は2010年以降、続々と無罪を勝ち取っている。

しかし今も精神的・肉体的な傷を抱えている者は多い。無罪判決を受けた李宗樹さんも、両耳の聴力がひどく低下したそうだ。

歴史に「たら・れば」は禁物だが、もし彼らが無事に留学を終えていたら、日韓双方を肌で知る架け橋として、両国の関係改善に寄与したのではないか。それを思うと、国家が奪ったもののあまりの大きさに身がすくむ思いだ。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

OPECプラス、7月以降も増産継続へ 自主減産解除

ワールド

バチカンでトランプ氏と防空や制裁を協議、30日停戦

ワールド

豪総選挙は与党が勝利、反トランプ追い風 首相続投は

ビジネス

バークシャー第1四半期、現金保有は過去最高 山火事
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1位はアメリカ、2位は意外にも
  • 2
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの運動」とは?
  • 3
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 4
    シャーロット王女とスペイン・レオノール王女は「どち…
  • 5
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見.…
  • 6
    「2025年7月5日天体衝突説」拡散で意識に変化? JAX…
  • 7
    野球ボールより大きい...中国の病院を訪れた女性、「…
  • 8
    「すごく変な臭い」「顔がある」道端で発見した「謎…
  • 9
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 10
    海に「大量のマイクロプラスチック」が存在すること…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 3
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1位はアメリカ、2位は意外にも
  • 4
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 5
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 8
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見.…
  • 9
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 10
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中