最新記事

映画

キューブリック風の神話にエロ描写を添えた怪作『聖なる鹿殺し』

2018年3月14日(水)14時45分
サム・アダムズ

心臓外科医のスティーブンは父親を失ったマーティンを何かと気に掛けているが (c)2017 EP SACRED DEER LIMITED, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, NEW SPARTA FILMS LIMITED

<ギリシャの奇才ランティモス監督の『聖なる鹿殺し』は後味がすっきりしないホラー>

若手俳優がこれほど懸け離れたキャラクターを演じ分けられるとは驚きだ。『ダンケルク』で兵士たちを救うべく民間船に乗り込んだ英雄ジョージを演じたバリー・コーガン。その彼が、ヨルゴス・ランティモス監督の『聖なる鹿殺し』では主人公の外科医一家を追い詰める謎の青年マーティンを演じる。

ジョージはいかにも世間知らずの純朴な若者だった。マーティンも強烈な第一印象を与えるが、その正体が見えてくるのは終盤に近づいてからだ。

心臓外科医のスティーブン(コリン・ファレル)は父親のいないマーティンを気に掛け、何かと面倒を見ている。何の特徴もないアメリカの都市(ロケ地はシンシナティ)の川辺の道を一緒に歩き、父親かおじのように人生について語ったり、愛用の腕時計をプレゼントしたりする。だが2人の会話はどこかよそよそしく、2人とも心ここにあらずといった感じだ。

今回もランティモスは、エフティミス・フィリップと組んで脚本も手掛けた。2人の脚本に見られる抽象的な概念や比喩を盛り込む手法は、次第にエスカレートしているようだ。09年の『籠の中の乙女』は、子供を家に閉じ込め、社会から隔絶して育てる裕福な夫婦の話だった。だが最近は、「わが子」である映画そのものまで現実世界から隔絶させている。

前作の『ロブスター』は異性の伴侶が見つからなければ、手術で動物の体に変えられるという不条理な近未来(おそらく)が舞台。設定がとっぴなのに、登場人物が大真面目に演じているため、おかしさが倍増した。一方、神話の領域まで踏み込んだ本作は、現実から離れ過ぎて映画の息の根が止まりそうだ。

ギリシャ人のランティモスが初めてアメリカで撮ったこのホラーは、ギリシャ神話を基にした彼の初作品。そこにひねりがある。タイトルが示すように、この映画は女神アルテミスの聖なる鹿を殺したアガメムノンが、女神の怒りを鎮めるために娘のイピゲネイアをいけにえにするという神話を下敷きにしている。

映画での怒れる神はマーティンだ。父親の死に絡む彼の怒りは、スティーブンがいけにえを差し出さなければ収まらない。

手の込んだゲームのよう

何やら深遠なシーンの連続は亡き巨匠スタンリー・キューブリックを連想させる。彼の遺作『アイズ・ワイド・シャット』でトム・クルーズの妻役を演じたニコール・キッドマンがスティーブンの妻を演じるのは、ランティモスの個人的なジョークのようだ。

しかしスティーブンの娘と息子がマーティンの「呪い」に苦しめられる頃から、この映画はキューブリックへのオマージュから、ミヒャエル・ハネケ監督風の理不尽な暴力にラース・フォン・トリアー監督風のエロ描写を加えた怪作へと変質する。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ガザ全域で通信遮断、イスラエル軍の地上作戦拡大の兆

ワールド

トランプ氏、プーチン氏に「失望」 英首相とウクライ

ワールド

インフレ対応で経済成長を意図的に抑制、景気後退は遠

ビジネス

FRB利下げ「良い第一歩」、幅広い合意= ハセット
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 8
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中