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【ブルキニ問題】「ライシテの国」フランスは特殊だと切り捨てられるか?

2016年9月14日(水)16時45分
井上武史(九州大学大学院法学研究院准教授) ※BLOGOSより転載

学校におけるライシテ

 ライシテ原則を共生と結びつける考え方は、将来の市民を育成する学校現場でも見られる。2013年に教育省が作成した「学校でのライシテ憲章」では、学校のミッションがフランスの価値観の共有にあるという大原則のもと、学校生活で守られるべきライシテの考え方が15か条の条文に具体化されている。興味深い条文をいくつか挙げてみよう。


学校におけるライシテ憲章
第6条 学校のライシテは、生徒が人格を形成し、自由意思を行使し、市民になるための学習を行うための条件を整備する。ライシテは、自らの選択を妨げるようなあらゆる勧誘や圧力から生徒を保護する。
第7条 ライシテは、生徒が共有された一つの文化に到達することを保証する。
第8条 ライシテは、共和国の価値観及び複数の信条の尊重という学校の良き運営を阻害しない限りにおいて、生徒の表現の自由の行使を認める。
第9条 ライシテは、あらゆる暴力と差別の拒否を前提とし、女子生徒と男子生徒の平等を保障し、他者を尊重し理解する文化を基礎とする。
第10条 すべての教職員は、生徒に対してライシテの意味と価値を伝達する責任を負う。〔以下略〕
第13条 何人も、共和国の学校で適用される規則の遵守を拒否するために、宗教への帰属を援用してはならない。
第14条 学校の公的施設内での各々の生活スペースに関する内規は、ライシテを尊重するものとする。生徒が宗教的帰属を誇示的に示す標章や服装の着用は、禁止する。
第15条 生徒は、自らの考えと行動によって、校内でのライシテの実現に貢献する。

 この憲章は学校内に掲示され、生徒にも配布される。教育大臣によると、憲章は学校社会で「共生」を可能にするルールである。随所に生徒の自由や自主性の尊重が謳われているが、それらはフランスの価値観の範囲内で認められるに過ぎない。他方で、ライシテの維持は公務員の教員だけでなく、生徒の務めでもある。これがフランス社会の考える「共生」モデルである。

 しかし、少し距離を置いて見ると、多様な価値観を認めた上でそれらの共存を図る道もありそうであるが、フランスはその方向を断固として拒否する。フランスは「ライシテ教」の名のもとに、排除の論理に陥ってはいないだろうか。

ブルキニ問題の行方

 最高行政裁判所であるコンセイユ・デタは、自治体のブルキニ禁止令を人権侵害にあたるとして差し止めた。この判決は下級裁判所を拘束するため、ブルキニ騒動は法的には一応の決着の見たはずだった。しかし、いくつかの自治体の首長はブルキニ禁止令の維持を表明するなど、ブルキニ禁止への支持は根強い。また、サルコジ前大統領はじめ判決に不満をもつ右派勢力が、国政レベルでのブルキニ禁止法の制定やそのための憲法改正を主張し始めるなど、いまやブルキニ論争は政治の場面に移行しつつある。

 本稿で見たように、フランスでのここ数年の出来事を振りかえれば、ブルキニ問題の本質は宗教問題なのではなく、結局のところ、フランス社会がイスラムをどう位置づけるのかである。ライシテは議論の取っ掛かりに過ぎない。

 折しもフランスは2017年前半に行われる大統領選挙のための予備選挙の時期に差し掛かっており、ブルキニ問題に端を発するイスラム問題は、今後選挙戦の争点になる可能性がある。フランスがどのような議論をしてこの問題に対処しようとするのか。これからの動きが注目される。

 他方、フランスの議論を特殊だとして切り捨てる見方もあるが、それも早計であろう。当時は奇異な目で見られたブルカ禁止法であるが、その後ベルギーで制定され、さらには政教分離原則を採用しないドイツでも法制化に向けた議論が始まったようである。イスラムの問題は、フランスだけでなくヨーロッパが抱える問題でもある。

 フランスは例外なのか、先進なのか。ブルキニ問題はヨーロッパ社会に新たな一石を投じたに違いない。

blogos160914_profile.jpg井上武史(いのうえ・たけし)
九州大学大学院法学研究院准教授(憲法学)・博士(法学)。単著『結社の自由の法理 (学術選書―憲法)』信山社、共著『憲法裁判所の比較研究』信山社、共著『一歩先への憲法入門』有斐閣。

※当記事は「BLOGOS」からの転載記事です。
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