最新記事

欧州難民危機

欧州への難民は減った。しかし難民危機は去ったのか? その現状と課題

2016年6月14日(火)16時10分
佐藤俊輔

 この際に問題とされたのが、ギリシャの境界管理の不十分さである。この決定はあくまでもシェンゲンの規則に則った決定であるので、当面シェンゲン圏の崩壊という表現はあたらないものの、それでもシェンゲンが平常への復帰を果たすためにはEUは遅くとも2016年の末までに域外国境管理の機能を回復する必要がある。

極右・ポピュリズムの高まり

 最後にこれらEUの問題とは次元を異にするが、すでにEU域内へ入り、庇護申請をしている人々が各加盟国社会へ与える影響の問題がある。

 この点からは5月にオーストリアで行われた大統領選挙において、右翼ポピュリズム政党とされる自由党の候補者ノルベルト・ホーファー氏が難民危機を前面に掲げて選挙戦を戦い、第1回投票で第1位の座を獲得した上に、決選投票でも49.7%の得票で惜敗と言える結果を残したことが注目される。

 オーストリアは昨年秋にはハンガリー、スロヴェニアを経由し、ドイツへ向かう難民を積極的に受け入れたのであるが、ホーファー氏の躍進の要因のひとつは、この難民受入れによって人々に生じた国境管理喪失の恐怖心を利用した形となった。

 オーストリアにおける大統領がどちらかといえば形式的な存在であり、また最終的に緑の党の候補者ファン・デア・ベレン氏に敗れたとはいえ、一国の元首を決定する選挙で右翼ポピュリストの政治家が接戦を演じたことは欧州諸国に大きな衝撃を与えた。

到着した難民の統合へ向けた取り組み

 ただし、昨今の欧州には極右・ポピュリズムの高まりが確かに見出せる一方で、既に到着した難民の統合へ向けた取り組みが着々と行われていることも見逃すべきではないだろう。

 なかでも昨年から最も多くの難民を受け入れているドイツでは、メルケル首相率いる大連立政権によって新たな移民統合法を制定する動きが本格化している。

 「支援と要請」という標語にあらわされるように、庇護申請者にはドイツ語やドイツの生活様式に関する講習や職業訓練の提供や、労働市場への統合支援が計画される一方、その講習や職業訓練への参加を拒否した庇護申請者への扶助の減額や定住許可のためのドイツ語習得の義務付け、さらに難民認定者への住居割当てなど難民に対する条件付けも多く含んでおり、既に存在する新規移民の統合講習を庇護申請者へと拡大・応用する内容となっている。

 このような条件付けに対してはPRO ASYLなどの難民支援団体から統合の目的に反するとの異議も提出されており、様々な立場から議論が行われているのが現状であるが、少なくとも同法にはドイツ政府の統合への積極的な取り組みと意志とを見出すことが可能であろう。

 もちろん新たに支持を伸ばしつつある「ドイツのための選択肢」党やPEGIDAのような排外運動の伸長が示すようにドイツ社会でも難民を巡る亀裂は拡大しつつあり、移民統合へ向けた安定的なコンセンサスが存在しているとは言えない。それでもこの新法制定への動きは、難民危機の最初の波の収束とともに、次の段階へ向けて大規模な実際的対応が開始されつつあることを示している。

 EUの難民危機がもたらす課題は折り重なり、安易な解決を許さない。それだからこそ危機を過大に評価することも過小に評価することも避け、現実的な解決策を探る様々な取り組みへと目を向ける必要があろう。


[筆者]
佐藤俊輔
東京大学法学政治学研究科博士課程を満期退学後、EUの基金によるエラスムス・ムンドゥスGEM PhDプログラムにより博士研究員としてブリュッセル自由大学・ジュネーブ大学へ留学。2016年4月より獨協大学・二松學舍大学・立教大学で非常勤講師。専門はEUの政治、ヨーロッパ政治、移民・難民政策。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ECB当局者、6月利下げを明確に支持 その後の見解

ビジネス

米住宅ローン金利7%超え、昨年6月以来最大の上昇=

ビジネス

米ブラックストーン、1─3月期は1%増益 利益が予

ビジネス

インフレに忍耐強く対応、年末まで利下げない可能性=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の衝撃...米女優の過激衣装に「冗談でもあり得ない」と怒りの声

  • 3

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離れ」外貨準備のうち、金が約4%を占める

  • 4

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 5

    「イスラエルに300発撃って戦果はほぼゼロ」をイラン…

  • 6

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 9

    ヨルダン王女、イランの無人機5機を撃墜して人類への…

  • 10

    紅麴サプリ問題を「規制緩和」のせいにする大間違い.…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 4

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 5

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中