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アートに宿るポル・ポト大虐殺の記憶

ポル・ポト時代を題材にした『サバイバルのアート』展は、カンボジア社会に広がる世代間ギャップを浮き彫りにしている

2010年7月26日(月)15時04分
ソニア・コレスニコフジェソップ

生還者が描く 目隠しされた人々がツールスレン収容所に連れていかれる様子を描いたバンの作品 VANN NATH

 カンボジア人アーティストのオール・ソクンテビ(25)が生まれたとき、ポル・ポト政権の悪夢は終わっていた。あの時代を振り返る展覧会に出品してほしいとの依頼を受けたとき、彼女が躊躇したのはそのせいだ。

 ポル・ポト率いる共産主義勢力(クメール・ルージュ)が行った大量虐殺という「負の遺産」は、カンボジアの若者たちが好んで語るような話題ではない。「悲しい出来事だけど、もう過去の話。今は明るい未来をつくるほうが大事」と、彼女は言う。

 だが結局は水彩画の『若い私にはこんな言葉は理解できない』を出品した。携帯電話で話す水着姿の若い女性の横に、クメール・ルージュがプロパガンダに使った文句をあしらった作品だ。

 彼女の作品の対極にあるのが、ヘン・ソパル(50)の出品作『300万以上の骨の上に君臨するクメール・ルージュ指導者』だ。キャンバスに描かれているのは、頭蓋骨などの山の上に、笑みを浮かべて座るポル・ポト。骨に交じるサフラン色の僧衣や遺跡の彫刻は、ポル・ポト政権が行った宗教弾圧や伝統文化の破壊を象徴している。

 二つの作品の違いから、世代によってポル・ポト時代に対する思いが大きく異なることがよくわかる。その点こそがプノンペンにある現代アートギャラリー、メタハウスで開催中の展覧会『サバイバルのアート』の中心テーマだ。

 メタハウスのニコ・メステルハルム館長いわく、同展の目的はアートを通じた「対話」によって悲惨な過去の記憶と向き合うこと。今年1月、21人のアーティストの作品を集めてスタートしたこの展覧会は、8月に参加作家を40人に増やして再開された(9月12日まで)。ポル・ポト時代をめぐる思いを表現した作品が並ぶ。

 カンボジアでは今、国連の支援の下、人道に対する罪などでポル・ポト政権の元幹部らが裁かれようとしている。特別法廷は今月にも、膨大な数の政治犯が殺されたとされるツールスレン収容所のカン・ケク・イウ元所長の審理を始める予定だ。

死のにおいに満ちた作品

 75〜79年にカンボジアを支配したポル・ポト政権は、200万人近くの国民を虐殺した。97年にポル・ポトが拘束された後も、クメール・ルージュに対する国民の恐怖感はなかなか消えなかった。

 今もカンボジアの芸術家の多くが過去から目を背けていると、ヘン・ソパルは言う。彼が『クメール・ルージュ指導者』を制作したのは00年。だが「報復」が怖くて、公開する気になれなかった。

 『サバイバルのアート』展の作品は、世代によって明らかに異なる。ヘン・ソパルやバン・ナトなど、ポル・ポト時代を生き延びた年配のアーティストの作品はより具象的で、死のにおいに満ちている。

 バン・ナトは綱で数珠つなぎにされ、目隠しされた人々がツールスレン収容所に連れていかれる様子を描いた。2万人近くが殺されたという同収容所から生還した人はごくわずか。バンはその一人だ。

 一方、若手アーティストの作品には、より抽象的なものが多い。ワンディ・ラタナの作品『狂信的に』は、共産主義のシンボルである「ハンマーと鎌」を印象的にあしらったアート写真だ。

カンボジアの今を映す

 「若い世代は過去の出来事を忘れているわけではない」と彼は言う。「昔のことをあまり知らないだけ。僕は12年も学校に通ったけど、クメール・ルージュについては何も教わらなかった」

 今回の展覧会で最も力強い作品はリアン・シコーンの『私の影』だろう。描かれているのは壁に向かう半裸の男性。彼の横にある鏡には、骸骨が映っている。

 ポル・ポト政権側の人間として描かれたこの男は、自分自身という怪物と戦うかのように、壁に映る影に殴りかかっている。「彼は自分の罪を知っている」と、リアン・シコーンは言う。「鏡の外では罪を隠すこともできるが、鏡には本当の自分が映ってしまう」

 『サバイバルのアート』展は、今のカンボジアを映す「鏡」だ。そこには悲惨な過去と向き合い、それを乗り越えようとしている国の姿が映っている。


[2008年9月10日号掲載]

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