世界的経済学者が体験した『うつとの闘い』──50歳で心のバランスが崩れた私の再生録

Pixel-Shot -shutterstock-
<イェール大学名誉教授、内閣官房参与、アベノミクスの理論的支柱──華々しい経歴を誇る経済学者・浜田宏一氏が重度のうつ病に襲われ、隔離病棟への入院を経て回復に至った道のりを語る>
※本記事は自殺に関する内容を含みます。ご注意ください。
50歳を過ぎて激しいうつ病に
英国ウォーリック大学のキャンパスは、劇作家ウィリアム・シェイクスピアの生誕地としても知られる、同国中部の緑豊かなストラットフォード・アポン・エイヴォンの近くにある。
1978年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに客員講師として滞在した後、私はウォーリック大学で開かれた若手の研究会のワークショップに参加していた。学者にとっては大きな学会より少人数で議論を尽くせる研究会(セミナーやワークショップという)に参加するほうが大変役立つ。
そのころ私は、それまで主に抽象的な数理経済学やボードゲームなどに応用されていた「ゲーム理論」を、政府同士が競い合う経済政策の実践の場で活用しようとしていた。そのため普段なら、新人の私は研究発表の機会を喜んで受け入れたはずだ。
ところが、ワークショップに参加してみると何となく気が晴れない。発表を勧められても尻込みしてしまった。その半面、ワークショップの余興ともいえるシェイクスピアの『から騒ぎ』を隣町に見に行くのには熱心で、英語のセリフがわかるようにと、脚本をあらかじめ読んでいったりした。
数週間にわたるワークショップを終えた後、家族との再会がこれほど心の安らぎとなったことも、これまで一度もなかった。その後、日本に帰国したので気持ちは落ち着いたが、今振り返ってみると、ウォーリック大学の研究会出席のときが、これから7~8年後に私を苦しめることになる「うつ病」の前兆だったのだ。
わたくしの人生の最も大きな曲がり角は、50歳を過ぎて東京大学からイェール大学に転勤した後に、激しい「うつ病」――後でわかったことには、正確には「躁うつ病」ないし「双極性障害」――に襲われたことである。
イェール・ニューヘイブン病院の隔離病棟に入院した私は、そこから回復の道を歩むこととなったが、滅多にできない体験をした。
その体験は皆に、そして特にうつ病に苦しむ人に知ってほしいことも多く、書き留めておきたいと思っていた。幸運に恵まれて、2024年夏、ハーバード大学の内田舞医学博士との共著で『うつを生きる』(文春新書)として公刊された。
以下は、共著者のわたくしが同書を書くことにより学んだことである。本書の計画中、共著者の内田舞医博は、わたくしの「本書を書くことで昔を思い出してうつが再発しませんか」という問いに、「むしろ、うつの治療になると思います」と答えた。私には信じられなかったが、今になるとその言葉の意味がわかるような気がする。