修羅場はくぐったがピアノは未経験、50代でABBAを弾いた...ただそれだけの経験が人の心を打ったのはなぜ?
翌日早朝、知り合いから携行缶を調達し、稼働していたガソリンスタンドを回って給油、イチかバチかで根室に向かった。幸い燃料は間に合い、到着の一時間前には根室の電気も復旧した。
「......軽トラで来たのか?」。呆れ顔の証言者はこちらの要望を気持ちよくOKしてくれたばかりか、貴重な話を聞かせてくれた。帰路、居留守を使い続けるヤクザの、趣味の悪い密漁御殿を急襲したが、姐(ねえ)さんが不穏な声で応答するだけだった。
訂正箇所を急ぎ送って帰京する。ようやく書籍は校了した。こうなればどうしようもない。なにもかもあきらめるしかない。
ライターズ・ハイ:5年を費やした大仕事が終わった結果
すべての抑圧から解放され、盆休みと正月休みとゴールデン・ウイークが同時に到来したような高揚感に包まれた。アクセル全開で仕事をしていたのでエンジンはかかりっ放しで、すぐにでも取材に飛び出せるほど脳みそが仕上がっている。
脳細胞がフルスロットルのところに、途方もない解放感がぶちまけられると、脳内のアドレナリンがナイアガラの滝になる。MDMAで逮捕されたエリカ様も違法薬物に頼らず、ライターズ・ハイともいうべき躁状態を会得していれば、大河ドラマを撮り直させることもなかったろう。
苦労が多ければ多いほどトリップのスケールは大きくなる。五年がかりの仕事にケリが付いたのだから、ほぼ宇宙旅行だ。とはいえ、仕事が終わったばかりでやることもない。いや、缶詰生活の中、締め切りを抜けたらやりたいことは多々あったはずだが、たいていは忘れてしまい、映画館に行くのが関の山である。
何の気なしに映画を観にいった。行きつけにしている練馬のシネコンは、平日の昼、東京とは思えないほど客がいない。いびきを搔(か)いて寝たところで咎(とがめ)る客もおらず、朝から晩までぶっ続けで映画を観た。