ヤクザ専門ライターが50代でピアノを始めた結果...習い事、遅かった「からこそ」の優位とは?
とある放課後、またも音楽室に忍び込み、憧れのピアノの前に座ってみたところ、ピアニカとは異質の緻密な手触りに気圧(けお)された。職人たちが木と羊毛と鋼で組み上げたピアノという機械は、音楽と対話する決意のない者が触れてはいけないような荘厳さをまとっていた。
憧れのピアノはどんな音楽でも主役を張れる
中学校で吹奏楽部に入り、クラリネットを相棒にした時も本当はピアノがよかった。しかし、いまさら言えない。修練に時間のかかる楽器だからだ。十代の前半でさえ、幼少期にはじめた人間とは歴然と埋められない差があった。ピアノに触れる許可書の申請は、とっくに締め切られているように感じた。
ロックンロールの洗礼を受け、ほとばしるような生命力とパッションを浴びてからも、電子楽器に引けを取らず、どんなアレンジにも対応するピアノの自在さには舌を巻くしかなかった。クラシックからハードロックまで、ピアノはどんな音楽でも主役を張れた。
上京して入学した写真学科の暗室には、新宿の中古レコード屋で買ったセロニアス・モンクのLPレコードを、カセット・テープにダビングして持参した。ジャズ・ピアノのスイングを気取り、手ぶれやピンぼけの写真をアートと思い込んで焼いていたのだから痛々しい。ただ若さと勢いだけがあった。
行きつけの居酒屋の娘さんが武蔵野音大でピアノの発表会に出ることになった時は、カメラ・メーカーから借りたバズーカ砲のような望遠レンズを持参して連写し、夜は大将のおごりで三日三晩飲み通した。
もしもピアノが弾けたなら、とは歌いたくなかった理由
社会人になってカラオケをしても、西田敏行の『もしもピアノが弾けたなら』を、がなったりはしない。〝弾けない〞と居直りつつ、弾ければよかったとくだを巻く不甲斐なさが、我が身を見ているようで辛いのだ。
いつか弾いてみたいという熱は消えず、仕事場のある神保町の編集プロダクションの帰り、お茶の水の楽器屋を冷やかし、弾けもしないのに電子ピアノに触ってにやけたりした。