近しい人を見送るとき...母の最期に立ち会えなかった作家が「最期に立ち会えなくても大丈夫」と思えた理由

母の旅立ちには間に合わなかった(画像はイメージです):nvtrlab_pixabay
<「最期の瞬間はそれぞれ自分で決めているように思う」と終末医療に携わる姉は言った>
大切な人の看取りには正解がない。それゆえ何かと後悔を残しがちだ。作家の尾崎英子氏の場合、母の最期の瞬間に立ち会うことができなかった。しかし後悔はなく、その日を迎えるまでかけがえのない時間を過ごすことができたという。
『母の旅立ち』(CEメディアハウス)は、四人姉妹と父が、在宅で母を看取り家族葬で送った記録である。知人や友人から看取りの経験について聞かれることが増える年齢になった今、自分の経験が少しでも人の気持ちを軽くできればという思いで綴った。
「わたしの姉は在宅医療の専門医で、その知見を事前にシェアしてくれました。多くの方の死を経験するなかで、最期の瞬間はそれぞれ自分で決めているように思えるから、立ち会えなくても後悔することはないと。おかげで動揺する心をずいぶん落ち着けることができた。自分が救われたから、わたしも友人に聞かれたときは自分の経験を話します。笑ってくれて、イメージを持つことができたと言ってもらえると、ほっとします」
同書を執筆するきっかけとなったエッセイ「母、シリウスに帰る」を掲載する。
正月、母の病気を又聞きで知った
パイナップルの日に、母はこの世を去った。 八月十七日。母がパイナップルを食べていた姿を思い出すことはできないが、なんとなく、母とパイナップルは似ていると思う。
母の病気が見つかったのは、2016年の晩秋だった。しかし病状を母から聞かされていたのは父と長女だけで、わたしと次女と三女が知ったのは、年末年始のバタバタの最中だった。あけましておめでとうの挨拶を交わした三女との電話で、わたしはまるで伝言ゲームみたいな又聞きで、その事実を知らされたのだった。