「生涯青春」を掲げ、前だけ向いて挑み続ける──。レダグループホールディングス創業者インタビュー
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成長を続けられるのは、人との縁があればこそ。
もう1つ、加畑が大事にしていることがある。人との「縁」だ。ブランド認知を高める起爆剤となったテレビCMでも、商品イメージだけでなく企業理念も深く理解するタレントやスポーツ選手との出会いがあった。「小川知子さん、小柳ルミ子さん、ジャンボ尾崎さん、野村克也さん、志村けんさん、研ナオコさん......。他にも多くの方々に支えられて、価値ある商品を世に出すことができています。こうした人との縁は、何にも替え難い宝ですね」。
第55代横綱の北の湖敏満・元相撲協会理事長も、加畑がその縁に支えられてきたと感じるひとりだ。「同い年で、北海道で育ったという共通項もあり、親友を超えた大親友、時には『兄弟』と呼び合うほどの仲で。引退後の還暦土俵入りの際にも世話人代表を務めました。62歳で先に逝ってしまいましたが、何が合っても『兄弟』の言葉があるから、それを支えに今も前を向いて進んでいけていると思います」。
縁も大切にしながら、レダグループホールディングスの成長を見届けてきた加畑。グループは2024年で創業45周年を迎えるが、このタイミングで新たな挑戦を始めるという。学生向けの奨学金制度の創設だ。「環境に恵まれなかったために、持てる能力を将来発揮できない子どもたちが少なからずいます。うちの社員でも、経済的な問題で希望する進路を選べなかった人間がいました。国全体で見ても、大きな損失ですよね。そこに手を差し伸べるための一助になればという思いで動いています。中途半端にお金を遺すくらいなら、世のために全部使うくらいでちょうどいいんじゃないですか。皆さんのおかげでここまで来れたわけですからね」。加畑の人生哲学は、こんなところにも生きているのだ。
70歳を過ぎた今も「生涯青春」を地で突き進む加畑雅之、そしてそんな男の溢れる情熱がほとばしるレダグループホールディングス。今度は何をしてくれるのか、次なる挑戦が楽しみだ。
加畑雅之(Masayuki Kabata)
レダグループホールディングス会⻑兼社⻑
1953年生まれ。幼少期から学生時代までを北海道で過ごす。1979年、セントラル通商(現レダグループホールディングス)を宮城県仙台市で創業。89年に全国テレビCMを開始。99年に医療用具「プチシルマ」を発表。2001年に本社を東京都中央区銀座へ、03年には現在の千代田区紀尾井町ニューオータニガーデンコートへと移転。12年からダイレクトマーケティング通販事業部を開始。18年にレダグループホールディングスの商号に。
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