コラム

香港対応に見る習近平政権のだらしなさ

2019年09月17日(火)07時00分

中国政府は香港政府による改正案撤回の提案を拒否した以上、武力鎮圧などの強硬手段を使っても自らの責任において事態を収拾する覚悟を決め、そのための戦略と計画もきちんと立てていたはずである。譲歩によって香港市民と和解する道を自ら絶った以上、中国政府にはもはや、実力の行使で事態を収拾する以外に選択肢はない。習近平(シー・チンピン)政権は断固とした方針を決め、後は着々と実行に移すだけ、のはずだった。

しかし今日に至るまでの事態の推移を見ていると、中国政府はまったくそういう体制になっていない。習政権は確たる方針も示さず、決定的な行動も取らず、ひたすら事態の推移と混乱の拡大を傍観していたかのようである。

確かに8月中旬、中国政府はいったん武力介入のそぶりを見せた。中国人民解放軍の武装警察部隊が香港と隣接する深圳で大規模に集結した事実が確認されているし、中国国営の新華社通信は8月25日の論説で「香港で暴動が起きた場合、介入するのは中国中央政府の権限だけでなく、責任でもある」と、武力介入を強く示唆した。その前後の数週間、人民日報をはじめとする国内メディアは毎日のように香港関係の記事や論評を掲載し、デモ隊の「暴力行為」「テロ」を激しく非難しながら、「これ以上許すことはもはやできない」という主張を展開していた。

習政権は「ダチョウ」と同じ

しかし後になってみれば、その一連の動きは単なる虚勢にすぎなかった。深圳に集結した武装警察部隊はいつの間にか消えてしまい、国内の多くの「愛国者」から熱望されいている「中央政府の武力介入」はいっこうに見られない。上述の新華社の表現を借りれば、中国政府は自らの「権限」をいっさい実行せず、自らの「責任」も完全に放棄している。

中国政府のこのような無責任な姿勢に業を煮やしたのか、香港の林鄭長官は9月3日になって突如、条例改正案の完全撤回を表明して事態の収拾に乗り出した。前回のコラムで指摘したように、林鄭や香港政府は危機を乗り越えるため、この捨て身の「クーデター」を敢行する以外に方法がなかったのだ。

【参考記事】香港長官「条例撤回」は事実上のクーデター

しかしその後の中国政府の反応はさらに奇妙になっている。9月3日の林鄭による改正案撤回表明から、この原稿を書いている9月16日午前まで、中国政府は林鄭の撤回表明にいっさい反応していない。林鄭と香港政府が「国内問題」にこれほど重大な決定を行ったのに、中国政府は見て見ぬ振りをしている。まさに中華人民共和国建国以来70年で初めての大珍事である。

そして10万人デモ翌日の9月16日、人民日報の公式サイトで同紙電子版を開いた筆者は、またもやわが目を疑った。前日の15日の香港デモに関して、人民日報はついに一言も報じてないのである。人民日報を右から読んでも左から読んでも「香港」の「香」の字も出てこない。香港も香港の「騒乱」も存在しなくなったかのようだ。

10月1日の建国70周年のお祝いムードを壊したくないから、中国政府が香港から目をそらしたくなる気持ちは分からないでもない。しかし、それでは砂の中に頭を突っ込むダチョウと何の変わりもない。

プロフィール

石平

(せき・へい)
評論家。1962年、中国・四川省生まれ。北京大学哲学科卒。88年に留学のため来日後、天安門事件が発生。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。07年末に日本国籍取得。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞受賞。主に中国政治・経済や日本外交について論じている。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 9
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 10
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story