コラム

モースル奪回間近:緊迫化するトルコとイランの代理戦争

2016年10月17日(月)11時50分

 10月1日、トルコ議会はIS対策のために派遣しているトルコ軍のバッシーカ(モースル北東)駐留について、1年間延長することを決定したが、そこにはモースル奪還にトルコが主導権を取ろうとの意図が見え見えである。

 イラク政府は当然これに猛反対、内政干渉だとしてアラブ連盟や国連に訴えた。だがトルコのエルドアン首相はイラクのアバーディ首相に対して、「自力で国土を奪回できない連中は黙ってろ」とばかりの強気の発言。さらに物議をかもして、一気に両国の緊張が高まっている。

 そのようななかで12日、アーシューラーの祭礼が行われた。アーシューラーとは、680年、シーア派の三代目イマーム・フサインがスンナ派のウマイヤ朝軍に包囲され、無残な死を遂げたことを悼むシーア派独特の宗教儀礼で、その痛みと怨みを語り継ぐためにシーア派信徒は、自らの体を傷つけたり追悼詩劇を演じたりする。

 そのような故事来歴をもつ儀礼なので、スンナ派のISやトルコ軍がモースルを狙う現状に照らし合わせて、儀礼は政治化しがちになる。サドル潮流の元民兵組織の長、カイス・ハズアリは、アーシューラー期間中、「モースルを奪回することは、イマーム・フサイン殉教に対する報復だ」と述べた。

【参考記事】民族消滅に近づくイラクの少数派

 ファッルージャ奪回以来、対IS戦争は、ますます宗派的色彩を強めているのだ。宗派的背景だけではない。イランとトルコという二大大国が背負う、歴史的記憶が全面的に押し出される展開となっている。

 典型的なのが、8月末にシリアで行われたトルコ軍による軍事作戦だ。シリア北部、トルコ国境の町ジャラブラスをISから奪回するために、トルコ軍が中心に軍事作戦を展開したのだが、その作戦開始日8月24日は、1516年の「マルジュダービクの戦い」の歴史的日付と合致している。マルジュダービクの戦いは、オスマン帝国軍がダービク(ISのオンライン機関誌の名前にもなっている)という街を占領し、以降シリアを帝国支配下にいれたという歴史の分岐点ともいえる戦いだ。オスマン帝国史的には、「オスマン帝国が以降400年間シリアの安定をもたらした」戦いと位置付けられている。

 トルコが歴史を振りかざす論調は、今に始まったことではない。昨年3月にイラクのティクリートがISから解放された時点でも、トルコ紙では「オスマン帝国の領土にイランが進出している!」といった記事が躍った。ティクリート奪還の中心となった人民動員機構が、イランの、特にイスラーム革命防衛隊が手ほどきした集団だったからだ。

 ISがイラクに支配を広げ、異教徒視されたシーア派住民が決死の覚悟で対IS部隊を組織化した2年前は、「シーア派イランの野望」にアラブ諸国はピリピリした。今、イランの勢力拡大に刺激を受けたトルコが、これまた大国の歴史的栄光を背景に、シリアとイラクへと進出している。南のイエメンではイラン対サウディアラビアの代理戦争、北のイラクとシリアではイラン対トルコの代理戦争と、中東の冷戦はますます過熱化していくのか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ゼレンスキー氏「選挙実施の用意」 安全な状況確保な

ワールド

インド・中国外相がニューデリーで会談、国境和平や貿

ワールド

ハマス、60日間の一時停戦案を承認 人質・囚人交換

ワールド

米ウクライナ首脳会談開始、安全保証巡り協議へとトラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    AIはもう「限界」なのか?――巨額投資の8割が失敗する現実とMetaのルカンらが示す6つの原則【note限定公開記事】
  • 4
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 5
    【クイズ】2028年に完成予定...「世界で最も高いビル…
  • 6
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 7
    アラスカ首脳会談は「国辱」、トランプはまたプーチ…
  • 8
    「これからはインドだ!」は本当か?日本企業が知っ…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    恐怖体験...飛行機内で隣の客から「ハラスメント」を…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 4
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 5
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 6
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 7
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 8
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 9
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 10
    【クイズ】アメリカで最も「盗まれた車種」が判明...…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
  • 10
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story