コラム

臨時休校という「政治的」決断の背景には何がある?

2020年03月05日(木)16時00分

ですが、安倍首相は(あくまで上記の仮説に基づいてお話ししていますが)そのような正攻法は取らなかったわけです。その理由としては、「親が子を思う心情に訴えた方が施策の徹底ができる」という直感もあったかもしれませんが、おそらくは「3月は中高生の登校日が限られるため、臨時休校のメインターゲットは小学生約630万人となる。となれば、この言い方しかない」という判断があったと思われます。

小学生を対象として「君たちは感染しても大したことはないが、君たちが高齢者に感染させると大変だから協力して欲しい」というメッセージを呼びかけるというのは難しいし、善悪がどうとか、民主主義がどうという以前に、特に低学年の場合などは、子どもの発達段階からして理解と協力を得るのは無理がある、という考え方です。

そして、仮にほとんど重症化しないという報告があるにしても、子どもに感染させないのは、「子どもの命と健康を考えて」言っていること自体に嘘はないわけです。

問題は、ストレートに「重症化リスクのある集団に感染させないため」と言うのが良いのか、それとも「子どもの命と健康を守るため」という言い方が良いのか、これは大きなギャンブルになるということです。善悪とか、理念ということを超えて、どちらの言い方がより徹底できるのか、より人命を救えるのかということです。

さらに問題なのは、この施策が「正しい」という「科学的な根拠」が脆弱だということです。PCR検査については保険適用や民間参入により、今後は対応数が増加することが期待されます。そうなれば、無発症の子どもの集団についてサンプル検査も可能となり、もしかすると市中感染の実態が分かるかもしれません。

ですが、それを待っていては時期を逸する可能性があるし、休校ということで言えば学年末の3月とは違って、新学年・新年度となる4月に実施すれば社会のダメージはより深刻になります。そこで、科学的な、あるいは統計的な根拠は十分でない中での判断となったのでしょうし、専門家委員会にはこのレベルの判断の責任を負える体制もなかったのかもしれません。

私は、歴史認識に偏りがあり、構造改革に消極的だという理由で、安倍政権に対しては距離を置いてきました。ですが、以上のような仮説がもしも事実であるのなら、今回の安倍首相の判断を理解する余地はあると思います。

会員制メルマガで上記のような見解を書いたところ、医療の専門家を含む私の尊敬している方々から多くのお叱りをいただきました。政策として成立するかもしれないが、少なくとも国民をあざむくのは邪道だという指摘は、確かにその通りだと思います。

ですが、平時ではなく有事の判断、そしてダイレクトに人命に結びつく判断として、子ども向けの「言い換え」を含む今回のような判断は、民主国家においてもギリギリ許容範囲ではないかと思うのです。もちろん、事後に徹底的な検証が必要なことは言うまでもなく、そこで失政が明確になれば政権は終焉を迎えるでしょう。安倍首相においては、そうした覚悟の上での判断であると考えます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

トランプ氏、クックFRB理事を異例の解任 住宅ロー

ビジネス

ファンダメンタルズ反映し安定推移重要、為替市場の動

ワールド

トランプ米政権、前政権の風力発電事業承認を取り消し

ワールド

豪中銀、今後の追加利下げを予想 ペースは未定=8月
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 2
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」の正体...医師が回答した「人獣共通感染症」とは
  • 3
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密着させ...」 女性客が投稿した写真に批判殺到
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 7
    アメリカの農地に「中国のソーラーパネルは要らない…
  • 8
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story