コラム

被災地へ、被災地から(その3)

2011年06月03日(金)11時36分

 それにしてもひどい政争でした。復興政策が決まらない中で数日を空費しただけではありません。菅首相は将来の辞任を口にしたことで求心力を弱めました。小沢・鳩山グループは「キングメーカー」の地位を確保したつもりでしょうが、詰めを逃げたことで弱みを見せたのは間違いありません。自公に至っては、まるでピエロにされてしまったわけで、日本の中央政界は「決定をするだけの強さ」を更に喪失しただけです。

 決定しなくてはならないことは明らかです。

 被災地は全てを失いました。人々は家と車と財産を失いました。農家は農地を失い、漁民は船を失いました。陸前高田は防潮堤を失い、鉄道と幹線道路を失い、海辺の土地は水没しました。国民の生命財産が失われ、国土が失われたのです。大船渡にしても、三陸有数の工業団地が全面的に被災したことで、地域の経済は失われました。

 仮にこの被災した状況をゼロとしましょう。この「ゼロ」の状態でこの地域を放置することは許されません。土地は荒れたまま、水没した国土は失われたまま、防潮堤のない地域には人は住めず、経済の復興もあり得ず、住民は国に捨てられることになります。

 では、被災前の状態に完全に戻すことは可能でしょうか? 防潮堤を再建し、鉄道を元のルートで復旧させ、住民には元の場所に全て元通りに住居を新築させる、工場や商店も同じ場所に同じように復興し、休業期間の補償も行う。一見すると簡単な「復興」ですが、この「100%」オプションというのは実は不可能です。

 というのは破壊された工作物を単純に復元するというだけではダメだからです。農地の塩害は除去しなくてならず、地盤沈下で水没した地域は埋め立てなくてはなりません。最大の問題は防潮堤で、8メートル、10メートル規模のものが無残にも破られた以上、海沿いの地域に人が住むのであれば防潮堤は15メートル級が必要です。となると、この「100%」オプションの金額は1つの地区で兆単位の、恐らくは3兆円とか5兆円の規模になってしまいます。

 被災地では、実はこの「100%」は非現実的だということは理解しているのです。陸前高田でも「盛土をしたりして全体で居住区を海抜の高い場所に移す」ことは必要だし、「せめて海の見える場所に住みたい」という希望はあっても、費用の関係で相当に内陸に移動しなくてはならないことも理解しています。農業や漁業の復興についても、何もかもを元通りにというよりも、現実的に産業が再興され経済が回ることだけを願って、できる限りの自助努力をしようとしているのです。

 問題は、「ゼロ」と「100」の間のどこまでを国が見てくれるのか、そしてその基準は何かということです。陸前高田の場合で言えば、仮設への移動、住民サービスの復旧など当座の実務に忙殺されているように見えますが、実はその「先」にある住民の永住できる宅地の設定と、産業再生のためには、国のガイドラインを待っているのです。国が決断しなくては、もう先へは進めないのです。

 ズバリ金額としていくら出せるのか? 防潮堤の基準と人が住んでいい場所の線引きはどうしてくれるのか? 塩害はどう除去するのか、補償はどうなのか? カキの養殖インフラはどこまで補償してもらえるのか? 鉄道は? 幹線国道は? 全ては国の決断です。

 ゼロではないが100でもない「現実の決定」というのは大変です。60とか70という決定をすれば、利害当事者からは足りないと言われるでしょう。線引きの方法を出せば、それは非現実だとか冷酷だという批判も出るでしょう。そうであっても、ゼロと100の間で決定をし、説明を行い、調整に汗をかき、落とし所に落としてゆく、それが国の責任です。

 今回の政争が露呈したのは、中央政界の政治家が「ゼロと100の間」で決断をし、責任を取るだけの能力がなかったことであり、政争の当座の結果は、益々もってそうした決定をするだけの「信任」をそれぞれが失ったということに他なりません。

 政争というと、永田町だけが悪いように見えますが、多くの諮問委員会や会議も同じことです。復興対策に「両案併記」などということは有り得ないのです。五百旗頭氏にしても、御厨氏にしても、自分がA案でB案を説得できないのなら無能であり、自分がA案でB案にも一理あるとしながら妥協できないのなら性格破綻であり、A案もB案も一理あるとウロウロしているのなら単なるバカでしかありません。

 原発の問題も同じことです。現状では依存率50%を目指した原発推進は不可能です。ですが、即座に全炉を止めることもまた非現実的です。原発の発電能力がゼロになれば、日本経済も国民の生活もガタガタになる中で、止めた原発の使用済み(使用中)燃料の冷却すら安定してできなくなるからです。

 一方で、現在の世論動向を前提とすれば点検明けの再稼働について、各県知事が自信を持って許可のできる状況にはありません。ここでも「ゼロではないが50でもない」という決断、真ん中に割って入って双方からの批判を受け止めつつ、自身を犠牲にしても全体の落とし所へ持ってゆくという「決定」が必要になります。

 決定すること、決定のために譲歩すること、あるいは説得すること、場合によっては戦うこと、場合によっては身を引くこと、そのどれもできないのなら政治家は即座に辞職すべきです。

 今回の政争は、こうした「決定」を先送りしたことで、また決定を行うだけの世論の信任を更に減じたことで、菅政権も、小沢+鳩山グループも、自公も、全てが傷ついただけに終わりました。

 イデオロギーとか対立軸などという「のんき」なことを言っている場合ではありません。とにかく決定すること、そのスピードが肝要です。「決定」を行う覚悟、その覚悟に伴うスピード感、現在求められているのはそうしたリーダーシップだけなのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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