コラム

セリーナ・ウィリアムズの反則負けは、人種問題に火をつけるか?

2009年09月14日(月)12時32分

 今年のテニスの全米オープンは、女子を中心に番狂わせの連続でした。更に秋の長雨によってスケジュールもメチャクチャになり、それでも何とか土曜日に女子の準決勝が2試合消化できて、何とか大詰めに向かう流れになっていました。そんな中、セリーナ・ウィリアムズ選手(米)の圧倒的なパワーが復活しているのは誰の目にも明らかで、早々に敗退した姉のビーナスの分を埋めるように、セリーナが勝つ、多くの人がそう思っていたと思います。

 ところが、とんでもないことが起きました。セリーナは、準決勝戦で、産休明けでシード外から勝ち上がってきたキム・クライシュテルス(ベルギー)に苦戦し、1セット目を落とすとショックでラケットを折ってしまったのです。更に2セット目でも早々にブレークを許し絶体絶命、ところが2セット目の後半からは117マイル(時速187キロ)という剛速球サーブが決まり始め、後一歩でタイブレイクに持ち込むところまで盛り返していました。

 ところが、その第2セットの第12ゲーム、ファーストサーブが入らなくなり、セカンドサーブでは相手を抑えることができずに、15-30の窮地に追い込まれたのです。後一歩でマッチポイントという焦りから、ここでもファーストサーブを外してセカンドサーブ、その瞬間に信じられないことが起きました。横から見ていた線審(アジア系の女性、一部に日本人という報道もありますが、確認はできていません)が「フット・フォウルト」を宣言、つまり足が出ていたのでファウルだというのです。この判定では自動的にダブルフォウルトとなり15-40で相手にマッチポイントが行きます。

 ここでセリーナの忍耐は切れてしまいました。線審に詰め寄り暴言を吐いた(ように見えました)瞬間に会場は凍り付きました。礼儀を重んじるテニスというスポーツではあってはならないことでした。線審は主審に事態を報告して戻ると、セリーナは改めてラケットを突きつけながら線審に何かを言い、その「第2の発言」に慌てて線審が改めて主審にクレームを言いに行くと、大会実行委員長が登場して協議となりました。その場でセリーナは「私はアンタを殺すなんて言ってないわ。ちょっと、皆さん本気で言っているの?」と言っていたのがCBSの生放送では聞き取れました。

 この瞬間に、セリーナは違反行為で罰ポイントを取られ、マッチポイントを失って敗北したのです。セリーナは諦めてラケットを置くと、呆然とする対戦相手のキムに歩み寄ってにこやかに握手を求め、そのまま無言でコートを去りました。会場はブーイングを含めて騒然としたムードとなりました。

 私は、セリーナが「切れてしまった」のが負けであること、それが全てだと思います。ですが、その背景には人種問題が横たわっているのも感じてしまい、重苦しい気分にさせられました。確かにウィリアムズ姉妹は、世界のテニス界に君臨することで、人種のカベを打ち破ったと思います。ですが、完全にはカベを叩き壊すことはできていないのです。例えば、姉妹に続く強豪選手が出てきて、テニス界全体にダーバーシティ(人種の多様化)が実現できているかというと必ずしもそうではありません。

 また他でもないアメリカのNY市クイーンズ区での試合でも、アメリカの観客の中にセリーナよりベルギー人のクライシュテルスを応援する(彼女が産休で一旦引退する前はスーパースターであったのは事実だとしても)ファンが多いというのは、どこかに地域より人種という感覚がある、そう受け取ろうと思えば受け取れる雰囲気があります。また今回の事件の後のアメリカのネット掲示板などを見ますと、露骨な人種差別的な文言が続いている(勿論、必死に反論する人もあります)のも事実です。

 では、何らかの措置を講ずるべきなのでしょうか? それは不可能ですし、不適切でしょう。ただただひたすらに、セリーナ選手がこの苦境(出場停止や罰金という話が既に出てきています)を乗り越え、精神的にタフでエレガントな(この場合同じことですが)選手に更に「進化」してもらうしかないと思います。

 表面化はしていませんが、ゴルフのタイガー・ウッズ選手についても不調時の言動にはかなり乱れがあるそうです。人種のカベを克服しつつも、後に続く存在のいないプレッシャーというのは、やはり大変なのでしょう。その点で、オバマ大統領というのは、何ともタフな存在です。現在は、医療保険改革の問題で賛否両論に囲まれて政治的苦境に立っています。人種問題を持ち出して叩かれることも多くなってきていますが、あくまでそうした雑音に対してはクールな姿勢を保っているのは、当たり前とはいえ、さすがです。

 もう1つ気になるのは、アジア人の線審と黒人選手のトラブルという構図です。アジア系と黒人は同じマイノリティとして「連帯」すべき立場にありながら、お互いに相性の悪いところが否定できません。例えば、1992年に起きたロス暴動なども、発端は黒人に対する白人警官の不適切な言動でしたが、暴動が拡大した背景には韓国系住民と黒人との反目があったのです。この点に関しては、当時の韓国の金泳三政権が黒人との和解を必死に訴えて、その後は改善していますが、問題は今でも根絶されているとは言えません。

 そんな中、日本でも野球のタフィ・ローズ選手の英語での抗議が、審判によってほとんどが「暴言」と取られてしまうという問題のことも頭をよぎります。ニュアンスを全く解しないまま、言葉の表面だけをとらえて「暴言だ」とか「殺意だ」と言われては、言った方も反省しようがないわけで、今回の問題にそうしたコミュニケーション・ギャップの問題もあったかもしません。

 いずれにしても、セリーナ選手が立ち直り、最終的にはメジャー大会の場で観客から喝采を持って迎えられるようになり、可能であれば問題の線審の方との個人的な和解も可能になることを心から願います。テニスというのは、崩れつつあるものの様々なマナーやカルチャーの伝統を守っているスポーツです。このぐらいのことで、和解劇が演出できないようでは、何のための伝統や格式かということになるのではないでしょうか。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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