コラム

松井秀喜、ギリギリの闘い

2009年07月03日(金)14時00分

 今日(2日)までの3日間、新ヤンキースタジアムに移って初めての「ヤンキース対マリナーズ」3連戦が行われています。試合内容はともかく、私にはとにかく感慨深い戦いです。感慨深いというのは、新球場での「マツイ対イチロー」対決だったということではありません。一つは、ここ数試合、ナ・リーグ球団主催の交流戦が続いたためにDH(指名打者)の松井秀喜選手はほとんど出番がなかったわけで、久々の先発出場だったということがあります。それ以上に、松井秀喜選手がヤンキースに入団した2003年以来7年間続いた、このユニフォームでの対決が今年限りという可能性が日に日に濃くなっている中での「直接対決」という状況があるからです。

 松井秀喜選手にとって、今年は2005年のシーズンオフに結んだ4年間5200万ドル(約49億円)という大型契約の最終年になるのですが、ここ数年の両ヒザのケガと手術、更にそのヒザをかばっての太もものトラブルが重なって思うような力が出せていないのです。結局この3連戦でも、初戦では3打席目に2塁打を打って反撃のきっかけを作りながらも代走を送られ、2戦目は相手が左投手を送ってきたために出番はなし、第3戦では再び先発して苦しい戦いの中(本稿の時点)追撃のツーランホームランを打っています。

 私は長年のヤンキースファンであり、松井秀喜選手が加入して以来もずっと応援してきていますが、現状は大変に厳しいと言わねばなりません。4年契約の切れた後、来季以降ヤンキースに残れる可能性はジリジリと減ってきています。例えば、7月と8月でホームランを20本打つとか、プレーオフやワールドシリーズでMVP級の活躍をするということなら可能性が出てきますが、仮にそうであっても五分五分だと思います。というのは、現時点での年俸1300万ドル(約12億円)というのがネックになっているからです。

 というと、年俸を下げて1年契約でも良いから残留できないのか、そんな疑問が湧いてきます。恐らく松井選手自身もそんなことを思ったこともあるのではないでしょうか。でも、それは許されないのです。松井秀喜選手というのはMLBを代表する一流選手の一人です。契約関係は専属のエージェントに任せていますし、エージェントは最高の契約を取ってくる、選手は最高のプレーをするという役割分担があるのです。年俸交渉というのは、エージェントと選手が共通の利害として進めてゆくものであって、選手の一存で「給料が下がっても良いから、ヤンキースへの愛を貫きたい」というのは通らないのです。選手会の一員としても、そのような「非合理的」な行動は取れません。

 では、ヤンキースのファンの心理はどうでしょう。松井秀喜選手は、ジーター、ポサダ、ペティットといった選手と同じようにファンからは「生え抜き扱い」がされており、誠実なプレー姿勢は深い尊敬を受けています。不幸なケガの事情もファンは良く知っているのです。ですが、仮にそうであっても、このままの状態、成績で契約の延長ということはファンは望んでいません。松井は好きだが、給料が高すぎるから放出は仕方がないというのが多くのヤンキースファンの心理です。

 こうした態度は冷酷なのでしょうか? 確かにドライな面は否定できません。ですが、仮にヤンキースの側から次年度のオフォーがされずに移籍した場合は、その選手が敵の一員としてヤンキースタジアムに登場したときには、多くのファンが「去年までの貢献ありがとう」という拍手をもって迎えるのです。自分から進んで移籍した場合は「裏切り者」というブーイングの洗礼が避けられませんが、自分のせいでなければそうはなりません。(中には勘違いからブーイングするファンもいますが)

 また、ある球団で「生え抜き扱い」の人気選手だった場合に、その後キャリアの後半を他のチームで過ごし、力の衰えと共に年俸が最高ランクからは下がってきた場合に、やや低い年俸で古巣に温かく迎えられるということもあります。今回のマリナーズ戦で4番を打っていたケン・グリフィー・ジュニア選手が良い例ですし、ヤンキースでもティノ・マルチネス選手などの例があります。水曜日に先発していたアンディ・ペティット投手も「帰ってきた」組の一人です。

 メジャーという世界は、球団とファンと選手がそのような微妙な関係を通じて、厳格な成果主義と漠然とした帰属の感覚のマトリックスを作り上げています。その延長上に、アスレチックス、ヤンキース、エンゼルスの3球団の全てで自分の背番号「44」が永久欠番になっているレジー・ジャクソン選手のようなケースも出てくるのです。そこには、硬直した純血主義はありませんが、全体としては決してドライなお金だけの世界でもないのです。

 私は今年、どうしても契約延長が不可能な場合は、松井秀喜選手がメジャーの中で移籍するということになっても仕方がないと思います。仮にそうなったとしても、ニューヨークのファンは、ヒデキ・マツイの「55番」は決して忘れないでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

韓国企画財政相と通商交渉本部長、25日に米で2プラ

ビジネス

米財務長官、金融規制改革深化訴え 前政権の資本規制

ビジネス

午前のドルは147円半ばで売買交錯、参院選後の取引

ワールド

英、ロシア「影の船団」に新たな制裁 タンカー135
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「カロリーを減らせば痩せる」は間違いだった...減量のカギは「ホルモン反応」にある
  • 2
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは「ゆったり系」がトレンドに
  • 3
    「マシンに甘えた筋肉は使えない」...背中の筋肉細胞の遺伝子に火を点ける「プルアップ」とは何か?
  • 4
    「死ぬほど怖かった...」高齢母の「大きな叫び声」を…
  • 5
    小さなニキビだと油断していたら...目をふさぐほど巨…
  • 6
    中国経済「危機」の深層...給与24%カットの国有企業…
  • 7
    日本では「戦争が終わって80年」...来日して35年目の…
  • 8
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 9
    父の急死後、「日本最年少」の上場企業社長に...サン…
  • 10
    その病院には「司令室」がある...「医療版NASA」がも…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは「ゆったり系」がトレンドに
  • 4
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 5
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 6
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 7
    「マシンに甘えた筋肉は使えない」...背中の筋肉細胞…
  • 8
    「想像を絶する」現場から救出された164匹のシュナウ…
  • 9
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 10
    ネグレクトされ再び施設へ戻された14歳のチワワ、最…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 4
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 7
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 8
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 9
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 10
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story