コラム

80年代初期のロシアの貴重なロック・シーンが描かれる『LETO』

2020年07月22日(水)16時30分

セレブレンニコフ監督は、当時のミュージシャンたちに影響を及ぼした音楽とトリッキーな映像と演出で、主人公たちの内に秘めたパワーや感情を表現している。ドラマは抑圧を示唆するモノクロの映像で描かれるが、突然ミュージカルが始まり、異空間に変貌する。列車内で主人公たちを"西の信奉者"と批判する乗客との間に諍いが起こる場面ではトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」、街で出会ったヴィクトルとナターシャがトロリーバスで移動する場面ではイギー・ポップの「ザ・パッセンジャー」を使ったミュージカルに切り替わる。手描きスタイルのアニメーションで、歌詞やメッセージ、絵などが描き込まれ、関係のない乗客も歌い出し、シュールでファンタジックな空間が切り拓かれる。そして最後に、狂言回しとして存在する若者が、これはフィクションというメッセージを私たちに送ってくる。

ロシアのロックの歴史と主人公たちの軌跡が高速で絡み合っていく

本作は、ロックをめぐる青春群像劇、ほろ苦い三角関係の物語、大胆な表現を盛り込んだ音楽映画と見ることができるが、筆者はそれらとは違う部分に心を動かされた。それをわかりやすく説明するためには、少し遠回りする必要がある。

先ほど名前を挙げたボリス・グレベンシコフやアレクセイ・ルィビンは、本作の内容を批判している。本作でコンサルタントを担当したトロイツキーのインタビューを参考にすると、その原因はこういうことになる。トロイツキーも含め、当時、マイクやヴィクトルと親しかった仲間たちは、誰もヴィクトルとナターシャの間にロマンスがあったことを知らない。そんな信じがたい三角関係を中心に、音楽活動が描かれるのは納得ができない。

そこで考えてみたいのが、本作では本当に三角関係が中心になっているのかということだ。筆者には、表面的にそう見えるだけで、より重要なテーマが埋め込まれているように思える。

まず注目したいのは、マイク率いるズーパークがロック・クラブのステージで「Dryan(You're Trash/お前はクズだ)」を演奏する導入部。この曲は、自由奔放に生きる女性と彼女に翻弄されて苦悩する男のことを歌っている。それは、これから始まる三角関係の予兆と解釈できるが、それほど単純ではない。

ロック・クラブのコンサートでは、管理者が観客を監視している。そこでは、リズムに合わせて体を動かすだけで制止が入る。見逃せないのは、その管理者がマイクの歌に戸惑いの表情を見せることだ。トロイツキーは『ゴルバチョフはロックが好き?』のなかで、マイクが登場してきたときに、彼の歌が大きな反応を起こした理由を以下のように綴っている。

oba0722p01.jpg

『ゴルバチョフはロックが好き? ロシアのロック』アルテーミー・トロイツキー 菅野彰子訳(晶文社、1991年)


「マイクは新人で、どのような表現が規制されているのかをよく知らず、自分でも気がつかないうちに重大なタブーに抵触していた。重大なタブーとは、ソヴィエトのロック・ミュージックが、いやソヴィエトのすべての芸術がひそかな場所にとじこめていたもの──、つまりセックスの表現だった」

ちなみに、映画には出てこないが、この導入部の曲には、「ぼくのバンドのベース・プレイヤーと寝ておいて」といった歌詞が盛り込まれている。本作は、最初にこの曲を選ぶことで、ロックの歴史にも食い込んでいる。

それから、後半で、マイクが雨に濡れながら夜の街を彷徨ううちに、ルー・リードの「パーフェクト・デイ」を使ったミュージカルに切り替わる場面。それだけを見れば、三角関係によるマイクの孤独を表現していることになるが、この場面はすでにまったく別の文脈の一部になっている。

ロックの歌詞に愛着を持つマイクは、ボウイやディラン、ボラン、リードらの歌詞を翻訳して、自分の音楽の土台にしてきた。だから、ヴィクトルに助言するときも、西側のロックを手本にする。本作では、ルー・リードのアルバムを聴き起こしして作ったノートをヴィクトルに貸すことが、ミュージカルの場面への重要な伏線になっている。

なぜなら、ヴィクトルが西側のロックをヒントにしつつも独自の世界を切り拓いていくのに対して、創作に迷いがあるマイクは西側のロックに深くはまり込んでいくからだ。本作では、それをルー・リードの曲で巧みに表現している。

そして、マイクと仲間たちが、ロシアのロックの西側進出について語り合う場面で、マイクの苦悩が浮き彫りになる。彼が浮かない表情で、西側のロックのジャケットで埋め尽くされた壁の前に立つと、ボウイが作った「すべての若き野郎ども」を使ったミュージカルが始まり、ビートルズの衝撃から始まったロシアのロックの歴史と主人公たちの軌跡が高速で絡み合っていく。

セレブレンニコフ監督は、限られた時期を背景にしながら、そこにロシアと西側のロックの関係を集約し、マイクとヴィクトルをリアルというよりは象徴的にとらえることで、彼らの運命の分かれ目を鮮やかに描き出している。


《参照/引用文献・記事》
"Summer of love | The Wire (thewire.co.uk)"by Ilia Rogatchevski (September 2018)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

金正恩氏が列車で北京へ出発、3日に式典出席 韓国メ

ワールド

欧州委員長搭乗機でGPS使えず、ロシアの電波妨害か

ワールド

ガザ市で一段と戦車進める、イスラエル軍 空爆や砲撃

ワールド

ウクライナ元国会議長殺害、ロシアが関与と警察長官 
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 2
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマンスも変える「頸部トレーニング」の真実とは?
  • 3
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シャロン・ストーンの過激衣装にネット衝撃
  • 4
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 5
    映画『K-POPガールズ! デーモン・ハンターズ』が世…
  • 6
    「体を動かすと頭が冴える」は気のせいじゃなかった⋯…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    就寝中に体の上を這い回る「危険生物」に気付いた女…
  • 9
    シャーロット王女とルイ王子の「きょうだい愛」の瞬…
  • 10
    世界でも珍しい「日本の水泳授業」、消滅の危機にあ…
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 4
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 5
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 6
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 7
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 8
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 9
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 10
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story