コラム

麻薬と貧困、マニラの無法地帯を生きる女の物語『ローサは密告された』

2017年07月28日(金)17時30分

カンヌ映画祭主演女優賞を受賞『ローサは密告された』(c) Sari-Sari Store 2016

<麻薬と貧困と腐敗しきった警察。ドゥテルテ大統領登場前夜のマニラのスラム街の混沌を描く>

昨年の6月に就任したフィリピンのドゥテルテ大統領は、選挙公約を実行に移し、麻薬犯罪者の殺害を容認するような苛烈な麻薬撲滅戦争に乗り出した。2005年のデビュー以来、フィリピン映画界を牽引しつづけるブリランテ・メンドーサ監督の新作『ローサは密告された』では、麻薬の問題が取り上げられている。この映画の企画が動き出したのは前政権の時代なので、現在の麻薬戦争に迫る内容ではないが、その背景が独自の視点と表現で掘り下げられている。

主人公のローサは、夫とともにマニラのスラム街の片隅でサリサリストア(雑貨類を販売するコンビニのような店)を営んでいる。夫婦には4人の子供がおり、彼らは苦しい家計の足しにするために少量の麻薬を扱っている。ところが、いつもと変わらないように見えたある土曜日の晩に突然、警察に踏み込まれ、麻薬と顧客リストを押収される。そして、警察署に連行された夫婦は、その場を丸くおさめる代わりに大金や売人の密告を要求される。

「貧困ポルノ」と批判(あるいは揶揄)された

メンドーサ監督は、これまで様々な角度からフィリピンにおける貧困を描き出してきた。この新作も例外ではない。

物語は、スーパーマーケットで買い出しをしたローサと息子が、大荷物を抱え、タクシーで家に戻る場面から始まる。しかし、運転手は彼女が店を構え、生活するスラムの路地まで入ることを拒む。外はあいにくのどしゃ降りで、彼らはずぶ濡れになりながら家にたどり着く。その家では、あまり頼りにならない夫が、店番もせずにクスリをやっている。ローサは近所の店で夕飯を調達し、彼女の店のそばで賭け事に興じる女たちと親しげに言葉を交わす。

メンドーサは、手持ちカメラと音響を駆使して、スラムの日常、その猥雑で混沌とした世界に私たちを引き込む。彼の作品は、「貧困ポルノ」と批判(あるいは揶揄)されることもあるが、これは決して見世物ではない。ドラマを描きながら、そこに映り込む映像を単なる背景にするのではなく、巧妙にドキュメンタリーに仕立てているといってもいい。

少数の富裕層と多数の貧困層に分断されたフィリピン社会の起源は、スペインの植民地時代の大農園制度にまでさかのぼる。この格差は間違いなく負の遺産だが、貧しい人々は親密な共同体を築き、それが彼らの支えになっている。だからローサと隣人たちの打ち解けた会話には、麻薬の隠語も頻繁に出てくる。だが、そんな共同体が腐敗した権力によって踏みにじられていくことになる。

【参考記事】写真が語る2016年:フィリピン麻薬戦争、夫の亡骸を抱く女
【参考記事】やはりマニラは厳しい都市だった

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米労働生産性、4─6月期は3.3%上昇に上方改定 

ビジネス

米新規失業保険申請は8000件増の23.7万件、予

ビジネス

米ADP民間雇用、8月は5.4万人増 予想下回る

ビジネス

米の雇用主提供医療保険料、来年6─7%上昇か=マー
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 3
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 4
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 7
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 8
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 9
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 10
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story