コラム

世界が反緊縮を必要とする理由

2018年08月01日(水)17時20分

緊縮を打ち負かしたオルト・ライト・ケインズ主義

上掲『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』では、欧州で拡大しつつある反緊縮に向けた政治潮流の現状がつぶさに紹介されている。そこで興味深いのは、反緊縮の担い手は必ずしも左派とは限らないという事実である。実例として挙げられているは、2010年に成立したハンガリーのオルバーン政権である。その経済政策である「オルバノミクス」は、金融緩和と財政支出の組み合わせであり、まさしく反緊縮そのものである。しかしながら、この政権それ自体は、民族主義的かつ復古主義的な特質を持つ、まごうことなき右派であった。

同様のことはおそらく、アメリカのトランプ政権に関しても言える。筆者は以前のコラム「オルト・ライト・ケインズ主義の特質と問題点」(2017年02月28日付)において、トランプ政権の経済観は、旧来の保守派の経済観、すなわちティーパーティーも含む共和党主流派が奉じてきた「小さな政府」を標榜する新自由主義におけるそれとは対極的であり、本質としてはむしろケインズ主義の方に近いことを指摘し、それを「オルト・ライト・ケインズ主義」と名付けた。実際、トランプが大統領選挙時から一貫して訴え続けてきた「減税や公共投資といった財政政策を用いてアメリカの労働者の雇用を増加させる」という政策手法は、アメリカの保守派が葬り去ろうとしてきた旧来のケインズ主義そのものであった。

トランプが打ち出したこの拡張財政政策に対する専門家からの反応は、当初はきわめて冷笑的なものであった。専門家の多くは、「リーマン・ショックの直後に行うならともかく、アメリカ経済がほぼ完全雇用に近づいた今になって行う拡張財政政策は、恩恵よりもむしろ景気過熱と高インフレをもたらす可能性が高い」と考えたのである。

ところが結果として見れば、正しかったのは彼ら専門家ではなく、トランプの方であった。というのは、2018年第2四半期の経済成長率が4%を超えたことが示すように、トランプ政権が2017年末に行った減税政策は、人々に明らかな恩恵をもたらしているからである。他方で、それによってアメリカ経済が過熱したとかインフレが加速したという徴候はほとんど見られていない。トランプ政権がその粗暴な政策運営に対する内外からの数多くの批判にもかかわらず、国内では依然として一定の支持基盤を確保しているのは、こうした経済面での実績によるところが大きい。

「世界的貯蓄過剰2.0」の世界にどう対応するのか

これまでのところ、その担い手が右派か左派かにはかかわらず、人々に苦難を強いてきたのはほぼ常に緊縮であり、人々の救いとなってきたのは反緊縮であった。しかしながら、これはあくまでも反緊縮側の見方である。緊縮の側からすれば、そのような評価はまったく受け入れ難いものであろう。というのは、「緊縮は確かに苦しいが、財政破綻やハイパーインフレといった将来における惨禍を防ぐためには現在の緊縮を甘受するしかない」というのが、藤井裕久元財務大臣に代表される緊縮論者たちの強固な信念だからである。

緊縮論者のこうした考え方は、確かに一定の歴史的な根拠を持っている。多くの国がこれまで財政破綻や悪性の高インフレに見舞われてきたが、その背後にはほぼ常に、放漫な財政政策や過度な金融緩和政策があった。

1960年代末から始まったアメリカの高インフレや、1970年代初頭の日本の「狂乱物価」が示すように、金融緩和や財政拡張の行き過ぎによる経済的混乱は、少なくとも1980年代前半までは、先進諸国においても決して珍しいものではなかった。つまり、その時代には確かに「財政と金融の健全な運営」がマクロ経済政策における正しい指針だったのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国の過剰生産能力による世界経済への悪影響を懸念=

ワールド

アングル:太陽光発電大国オーストラリア、さらなる普

ビジネス

米国株式市場=S&Pとダウ再び最高値、エヌビディア

ビジネス

NY外為市場=ドル指数横ばい、週足では年初来初の下
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:開戦2年 ウクライナが敗れる日
特集:開戦2年 ウクライナが敗れる日
2024年2月27日号(2/20発売)

アメリカの支援が途絶えればウクライナ軍は持たない。「ロシア勝利」後の恐怖の地政学とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 2

    対戦車ミサイルがロシア兵に直撃...衝撃映像に「プロの仕事」「費用対効果が...」と反応さまざま

  • 3

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を受け、炎上・爆発するロシア軍T-90M戦車...映像を公開

  • 4

    メーガン妃は今でも「プリンセス」なのか?...結婚で…

  • 5

    ビートルズの伝説が始まったあの「初登場」から60年.…

  • 6

    ゴールドカードだけの感動体験を...新時代に「新たな…

  • 7

    米大統領選、バイデンが撤退ならミシェル・オバマが…

  • 8

    プーチンの顔面に「異変」が...「頬どうした?」と話…

  • 9

    元CIA諜報員がウクライナ支援を解き明かす、バイデン…

  • 10

    大雪で車が立ち往生しても助けなし...「不信の国」中…

  • 1

    プーチンの顔面に「異変」が...「頬どうした?」と話題に 外交の場での「奇妙な様子」にも注目集まる

  • 2

    ウクライナ攻勢を強めるロシアのドローン攻撃を、迎撃システム「バンパイア」が防ぐ「初の映像」が公開

  • 3

    毎日を幸福に過ごす7つの習慣の1つ目が「運動」である理由

  • 4

    日本人は知らない、能登半島地震に向ける中国人の視線

  • 5

    【アウディーイウカ陥落】ロシアの近接航空支援や滑…

  • 6

    米メディアのインタビュー中、プーチン大統領の「足…

  • 7

    メーガン妃に「手を触られた」瞬間の、キャサリン妃…

  • 8

    エリザベス女王が「誰にも言えなかった」...メーガン…

  • 9

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 10

    ゼンデイヤのスケスケなロボット衣装にネット震撼...…

  • 1

    日本人は知らない、能登半島地震に向ける中国人の視線

  • 2

    【能登半島地震】正義ぶった自粛警察が災害救助の足を引っ張る

  • 3

    一流科学誌も大注目! 人体から未知の存在「オベリスク」が発見される

  • 4

    情報錯綜するイリューシン76墜落事件、直前に大きな…

  • 5

    ルーマニアを飛び立ったF-16戦闘機がロシア軍を空爆?

  • 6

    プーチンの顔面に「異変」が...「頬どうした?」と話…

  • 7

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 8

    「まだやってるの?」...問題は「ミス日本」が誰かで…

  • 9

    中国の原子力潜水艦が台湾海峡で「重大事故」? 乗…

  • 10

    シャーロット王女の「ただならぬ風格」...5つの「フ…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story