コラム

原発報道をめぐる「バカの壁」

2011年04月02日(土)13時43分

 週末だというのに繁華街には人っ子一人おらず、スーパーの棚という棚からは買占めでカップラーメンが消えた。幹線道路を警察が封鎖して住民の街への出入りを厳しく管理している――。

 東日本大震災の被災地の光景ではない。今から8年前、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国を襲ったときの北京の街の様子だ。当時北京に住んでいた筆者はパニックになる人々の姿を間近で目撃した。中国人が恐怖に我を忘れたのは中国政府が流行当初、病気の情報を隠蔽している間に感染が広がったからだ。

 中国政府は今でも国内メディアの報道を強く統制している。だがSARSのときは感染の広がるスピードが情報規制を超え、WHO(世界保健機関)を筆頭とする国際世論の要求もあって、不承不承ながら感染に関する情報を公開するようになった。軍病院の医師による患者数隠蔽の内部告発も、中国政府を動かすきっかけになった。

「御用学者、御用ジャーナリストが政府の嘘を垂れ流している」「科学に基づかずただ放射能の危険をあおっている」――東日本大震災で被災した福島第一原発からの放射能漏れ事故が終息するめどがまったく立たない中、ネット、特にツイッター上で事故と放射能の影響をめぐる果てしない論争が続いている。事故同様、こちらもまったく終着点が見えない。

 中国の例を挙げるまでもなく、政府は自分たちにとって都合の悪い情報を隠蔽したがる。ただSARSのような伝染病や、今回の放射能漏れ事故のようなケースを隠蔽し切るのはきわめて難しい。「壁」を超えて現実が広がるのは政府に止めようがないからだ。

 国際環境保護団体のグリーンピースは先日、福島県内で独自に実施した放射線調査の経過報告を行った。結果は福島第一原発周辺の7地点すべて福島県の測量した放射線データと同じレベル。グリーンピース側は「政府のデータは信頼できることが確認された」とコメントしたが、そもそも人体に有害なレベルの放射線が漏れていれば原発周辺の人たちに健康被害が生じているはずだ。東京電力も福島原発での作業などしていないだろう。

 両者の対立の最大の原因は情報の評価にある。「極めて有毒で発癌性がある」プルトニウムは「重い物質のため現場から離れた場所には飛散しない」とされる。危険視する人たちは「『想定外』の事態が起きて広範囲に広がる可能性はゼロではない」と考え、それを批判する人たちは「飛散して周辺に深刻な危険をもたらす確率は低い」と見る。

 どちらも間違ってはいない。ただ双方が「自分たちこそ絶対に正しい」と信じているため、その議論は水掛け論になる。「自分に絶対の真実がある」と信じ込んで他者の言葉に耳を傾けない――かつてのアメリカとイスラム教原理主義者の戦いや、昨年の尖閣諸島をめぐる日本と中国の争いで見られた「バカの壁」がここでも再現されている。不毛な二項対立からは何も生まれない。

 これまで反原発的とされたメディアまで抑制的な報道をしているのは、必ずしも政府や東電と癒着しているからではない。読者や視聴者は「一刻も早く事態を収拾して欲しい」「放射能避難などしたくない」と思っており、東京にいる取材記者もそう感じながら記事を書いている。日本全体を包む空気が否定的な情報を排除する方向でうねっている中、彼らが書く記事がこの「空気」を反映して抑制的になるのはある意味当然だ。

 第二次大戦であらゆる日本の新聞が戦争遂行に協力したのは、何も軍部の圧力があったからだけではない。戦争を望む国民の空気もまた、新聞を後押しした。先の戦争で戦争推進派とメディアのほとんどは、その非科学性ゆえ最後に「淘汰」された。今回の原発事故で非科学的だったのはどちらか。全てが終わったときに明らかになるはずだ。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米政権が「麻薬船」攻撃で議会に正当性主張、専門家は

ビジネス

米関税で打撃受けた国との関係強化、ユーロの地位向上

ワールド

トランプ氏、職員解雇やプロジェクト削減を警告 政府

ワールド

インドと中国、5年超ぶりに直行便再開へ 関係改善見
MAGAZINE
特集:2025年の大谷翔平 二刀流の奇跡
特集:2025年の大谷翔平 二刀流の奇跡
2025年10月 7日号(9/30発売)

投手復帰のシーズンもプレーオフに進出。二刀流の復活劇をアメリカはどう見たか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 2
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最悪」の下落リスク
  • 3
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外な国だった!
  • 4
    「人類の起源」の定説が覆る大発見...100万年前の頭…
  • 5
    イスラエルのおぞましい野望「ガザ再編」は「1本の論…
  • 6
    「元は恐竜だったのにね...」行動が「完全に人間化」…
  • 7
    1日1000人が「ミリオネア」に...でも豪邸もヨットも…
  • 8
    女性兵士、花魁、ふんどし男......中国映画「731」が…
  • 9
    【クイズ】1位はアメリカ...世界で2番目に「航空機・…
  • 10
    AI就職氷河期が米Z世代を直撃している
  • 1
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外な国だった!
  • 2
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 3
    トイレの外に「覗き魔」がいる...娘の訴えに家を飛び出した父親が見つけた「犯人の正体」にSNS爆笑
  • 4
    ウクライナにドローンを送り込むのはロシアだけでは…
  • 5
    こんな場面は子連れ客に気をつかうべき! 母親が「怒…
  • 6
    iPhone 17は「すぐ傷つく」...世界中で相次ぐ苦情、A…
  • 7
    【クイズ】世界で1番「がん」になる人の割合が高い国…
  • 8
    高校アメフトの試合中に「あまりに悪質なプレー」...…
  • 9
    虫刺されに見える? 足首の「謎の灰色の傷」の中から…
  • 10
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 4
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 5
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 6
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story