コラム

停電になりそうな夜に

2011年03月21日(月)15時50分

 ロンドン生まれ、アメリカ在住のインド系女性作家ジュンパ・ラヒリの作品に登場する主人公は、ほとんどが彼女と同じように外国で暮らすインド系の人々。およそかけ離れた人たちの物語なのにのめり込んで読んでしまうのは、誰もが(特に30代前後の男女なら)日常の中で感じる人間関係の危うさや心のすれ違いといったものを、胸がキリキリするようなリアルさで描き出しているからだろう。

 短編『停電の夜に』もそんな作品の1つ。初めての子を死産してから、何となく冷たい溝が出来たまま普段どおりの生活を続ける30代の夫婦がいる。あるとき、近隣の電気工事のために数日間、夜間に「計画停電」が行われるという通知が届く。妻の提案で、停電の夜に2人はろうそくを灯してお話をしようということになる。これまで話したことのなかったちょっとした秘密を1つずつ打ち明け合おう、というのだ。暗闇の中で微笑ましい過去の秘密を打ち明けあう数日が過ぎ、互いの知らなかった一面が見えてきて、親密さが増し、こんな夜が続くのも悪くない、夫婦の危機は去った......そう思っていた矢先、妻は最後の日に最大の秘密を打ち明ける。別居したい、実はもう今日、部屋を契約してきた、と。

 この作品を思い出したのは、もちろん東日本大震災の影響でここ数日、計画停電やら節電やら突然停電する恐れやらの騒動が続いているから。被災地の方々を思えば首都圏の多少の不便など口にするまでもないが、それでも生活が激変したのは事実だ。オフィスの廊下は真っ暗、暖房は切ってあるから上着を着込んで仕事をしている。突然電源が消える可能性があるから、パソコンのデータは数十分おきに保存する。深夜営業のスーパーは夕方で店を閉め、皆が早めに仕事を切り上げて家路を急ぐから運行本数を減らした電車はありえないような時間にラッシュになっている。

 そして驚くのが、意外とこんな生活も出来るではないか、ということ。オフィスや店舗の明かりが薄暗くて室温が低くても、やっていける。夜型の都市生活が機能しなくなっても、思っていたほど困らない。家でも外でも、誰もがごく当たり前に節電している。多少の不便をカバーするように、皆が声をかけたり協力し合ったりしている。

 そして、今までこれが出来なかったという事実に愕然とする。いったいこれまでの省エネって何だったんだろう? どこかで他人事だと思っていなかった? 必要のない時間に必要のない物を消費し、必要のないことをしていたのでは? 

 停電の夜(と停電になりそうな夜)には、明るい電灯の下では見えなかったものがいろいろと見えてくる。それに気付くのが、手遅れではなかったと思いたい。

――編集部・高木由美子

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 9
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 10
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story