コラム

コロナワクチン「特許放棄」の現実味──突き上げる途上国、沈黙する先進国

2021年11月02日(火)19時10分

これに対して、多くの知的財産権を既得権として抱える先進国は総じて消極的だ。

実際、コロナワクチンをすでに開発した国、とりわけ欧米で主流になった新技術mRNAワクチンの開発に成功した国にとって、ワクチンはいまや「ドル箱」でもある。例えば、ファイザーのコロナワクチン関連の売り上げは、今年上半期だけで113億ドルにのぼった。

バイデン政権の打ち上げ花火

もっとも、欧米でもワクチンの知的財産権の放棄に前向きな議論がないわけではない。今年5月のWTO会合の直後、アメリカのキャサリン・タイ通商代表は「知的財産権の放棄を支持する」と表明し、国内外に大きな衝撃が走った。

ところが、今回のG20でこの問題が議論されることはほとんどなかった。WTOでこの問題を提起したインドや南アフリカだけでなく、「世界最大の開発途上国」を自認し、開発途上国の味方を演じたい中国政府が賛成を表明した一方、アメリカをはじめほとんどの先進国は沈黙した。

中国包囲網を形成したいバイデン政権は、「知的財産権の放棄を支持」でコロナワクチンの問題で途上国に配慮しているポーズを示したかったのかもしれない。また、中国を念頭に連携を深めるインドが「特許放棄」の旗頭になっている以上、全く無視することも難しかったのだろう。

しかし、知的財産権を放棄した場合、それが中国やロシアにとって、いわば棚ぼたになることも十分考えられる。それだけでなく、この問題でファイザーやジョンソン・アンド・ジョンソンといった大手医薬品メーカーが政権批判キャンペーンをネット上で展開するなど、強い逆風にさらされている。

そのため、バイデン政権は打ち上げ花火を上げるだけにとどまったといえるが、その打ち上げ花火が不発であるなら、かえって信頼を損なう。G20首脳会合で、企業課税の強化でリーダーシップを発揮して国際的な評価をあげたバイデンだったが、この点においてポイントは伸びなかったといえるだろう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

※筆者の記事はこちら

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英賃金上昇率、2─4月は予想下回るもなお堅調 失業

ワールド

中国の李首相、今週オーストラリア訪問へ 中国首相の

ビジネス

フランス議会の解散総選挙、格付けにマイナス=ムーデ

ビジネス

ECB、来年までにインフレ目標達成へ 統計のノイズ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:姿なき侵略者 中国
特集:姿なき侵略者 中国
2024年6月18日号(6/11発売)

アメリカの「裏庭」カリブ海のリゾート地やニューヨークで影響力工作を拡大する中国の深謀遠慮

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思っていた...」55歳退官で年収750万円が200万円に激減の現実

  • 2

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...? 史上最強の抗酸化物質を多く含むあの魚

  • 3

    「クマvsワニ」を川で激撮...衝撃の対決シーンも一瞬で決着 「圧倒的勝者」はどっち?

  • 4

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 5

    たった1日10分の筋トレが人生を変える...大人になっ…

  • 6

    カラスは「数を声に出して数えられる」ことが明らか…

  • 7

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕…

  • 8

    「私の心の王」...ヨルダン・ラーニア王妃が最愛の夫…

  • 9

    イスラエルに根付く「被害者意識」は、なぜ国際社会…

  • 10

    高さ27mの断崖から身一つでダイブ 「命知らずの超人…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が34歳の誕生日を愛娘と祝う...公式写真が話題に

  • 3

    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車が、平原進むロシアの装甲車2台を「爆破」する決定的瞬間

  • 4

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...…

  • 5

    カラスは「数を声に出して数えられる」ことが明らか…

  • 6

    「サルミアッキ」猫の秘密...遺伝子変異が生んだ新た…

  • 7

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 8

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 9

    アメリカで話題、意識高い系へのカウンター「贅沢品…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「回避」してロシア黒海艦隊に突撃する緊迫の瞬間

  • 4

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 5

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 6

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 7

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 8

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 9

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

  • 10

    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story